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「メッシとマラドーナは知ってるけど…」実は“うろ覚えなアルゼンチンとW杯史” 優勝3回も“もっと勝っていたはず”不運の時代とは 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byKaoru Watanabe/JMPA,Getty Images

posted2023/01/29 11:00

「メッシとマラドーナは知ってるけど…」実は“うろ覚えなアルゼンチンとW杯史” 優勝3回も“もっと勝っていたはず”不運の時代とは<Number Web> photograph by Kaoru Watanabe/JMPA,Getty Images

念願のW杯トロフィーを手にしたメッシとマラドーナ。2大スター以外の「アルゼンチンフットボール史」の全容は意外と知らないかも?

 準々決勝の相手は1982年にフォークランド紛争(アルゼンチン側の呼称ではマルビナス紛争)を戦ったイングランドだったが、マラドーナは敵のゴール前に上がったボールをイングランドのGKピーター・シルトンと競り合いながら、巧妙に左手の拳で叩いてゴールへ入れた。このトリックを主審が見破ることができず得点を認めてしまった。

 いわゆる“神の手ゴール”が生まれた瞬間だった。さらに自陣から5人抜きのスーパーゴールを決めて2-1で撃破した。アルゼンチン国民は、前述のマルビナス紛争で無残な敗北を喫してプライドをズタズタにされた。その社会状況下にあってマラドーナは――憎きイングランドを狡猾な手口で出し抜き、なおかつ華麗なテクニックを見せつけて葬ったことで、スポーツの枠を超える国民的英雄となった。 

 マラドーナは準決勝ベルギー戦でも2得点を記録すると、決勝の西ドイツ戦でも決勝点をアシスト。円熟期を迎えて絶好調だったエースの獅子奮迅の活躍で、2度目の優勝を遂げた。

 1990年イタリア大会でも、1984年からナポリの救世主となってセリエAのタイトルを二度手にしていたマラドーナが注目の的だった。故障のため体調不良だったが何とか勝ち進み、ナポリで行なわれた準決勝で地元イタリア相手にPK戦の末に勝利したものの、西ドイツ相手に0-1で4年前のリベンジを果たされ、連覇の夢はついえた。

名将ビエルサ、若きメッシをもってしても

 これ以降、アルゼンチンはW杯の舞台で苦しむ。1994年大会では、マラドーナがGSナイジェリア戦の後のドーピング検査で陽性反応が出て大会から追放され、チームもラウンド16で消えた。1998年大会は準々決勝でオランダに78年決勝の雪辱を果たされ、2002年大会はマルセロ・ビエルサ監督のもとで優勝候補と目されながらGSで敗退した。

 そしてメッシにとってW杯デビューとなった2006年大会は準々決勝で敗れ去り、マラドーナが監督を務めた2010年大会は準々決勝でドイツに0-4の大敗を喫した。

 2014年のブラジル大会ではメッシが4得点をあげる活躍を演じて決勝まで勝ち上がったが、ドイツに延長で敗れた。2018年ロシア大会はラウンド16でフランス(この大会で優勝)と壮絶な撃ち合いを演じた末、3-4で敗れた。

 しかし2022年カタール大会では自身5度目の出場で「今度こそは」と闘志をむき出しにしてにしてプレーし、「マラドーナが乗り移った」とまで言われたメッシの獅子奮迅の活躍で世界の頂点に立った。

ブラジルのドリブラーと天才2人の“違い”とは

 マラドーナとメッシに共通するのは、いずれも小柄だが完璧なテクニックでボールを自在に操り、まるでピッチの上から俯瞰しているように的確に状況を判断する。そしてボールが足に吸いついて離れない圧巻のドリブルと精緻なパスで敵の守備陣を崩し、硬軟織り交ぜたシュートを決め切ること。

 ドリブルに関して言えば、ブラジル人選手の多くが上半身を揺すってマーカーを幻惑して逆を取ろうとするのに対し、アルゼンチン人選手は細かいタッチでボールのコースを小刻みに変えながらマーカーの重心の反対側を突いて抜き去ることが多い。

 アルゼンチンのブラジルとの通算対戦成績は、109回対戦して40勝26分43敗(得点162、失点166)とほぼ互角だ。

【次ページ】 ブラジルから見た「宿敵アルゼンチン観」とは

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