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「カッコイイ…なんて名前の力士ですかね?」“伝説の横綱”千代の富士…関係者たちが証言する「筋肉が硬すぎて、手術のメスが入らなかった」
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byGetty Images
posted2023/01/21 17:00
昨年ツイッターで拡散された2枚のうちの1つ。1983年の九州場所(11月場所)での千代の富士
「父がイカ釣りの大きな船で漁に出た時は、弟が小さな磯舟を200mほど漕いで船に近づいて、イカの入った網袋を下ろすんです」
波に揺れる磯舟に立ち、おのずと足腰はバランスを取り、強靭になる。数十kgもある網袋を担ぎ上げ、腕力と腹筋も鍛えられた。中学1年次に盲腸の手術を受けた弟のことを姉は覚えている。
「お腹に筋肉がついて硬すぎたのか、なかなかメスが入らずに時間が掛かり、麻酔が切れ始めたなかで手術を受けることになった――なんて話でしたね。担当医の先生が弟の我慢強さとその体に驚いて、先生のご縁で当時の師匠(元横綱千代の山)にスカウトされた、と聞きました」
類まれな筋肉と根性を備えた少年は、この時見いだされ、1970年、15歳で角界の門を叩く。
腕立て伏せ1日500回
「千代の富士さんはボディビルの世界大会でも優勝できたのではないですかね。肩の三角筋の厚みと上腕二頭筋が素晴らしい。立ち合いで当たった時に『バン!』と一気に相手の懐に入っていく肩の三角筋に、腕を差し込んで廻しを掴む上腕二頭筋が連動し、さらに生きるんです」
そう語るのは、日本ボディビル界の先駆者で、相撲の街・両国の隣町に創設したジムで多くの力士を指導してきた遠藤光男だ。
千代の富士は幕下だった73年の春場所中に初めて左肩を脱臼し、一説によるとこの時の応急処置が尾を引き、脱臼が癖になったという。引退までに公式記録に残るだけでも7回。大きな悩みの種となった。
西前頭八枚目で迎えた79年春場所中には、さらに右肩も脱臼する。番付降下を考慮して手術を回避し、「肩の周りに丈夫な筋肉の鎧を付けてしまうのが一番いい」との主治医の判断に従った。「肩だけではなく全身の筋肉強化に努めなくては効果が薄い」と聞き、三角布で腕を吊ったままでの自転車こぎ、階段の昇降、回復度に応じて鉄アレイやダンベルを使ったトレーニングを試みた。なかでも腕立て伏せに重点を置き、50回×10セットの1日500回をノルマとした。右肩脱臼の療養中、わずか40日間で体重は6kg増え、初めて3桁の大台に乗る。体重計の針が103kgを指した瞬間には思わず喜びの声を挙げたという。