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「千代の富士さんの筋肉は鉄板…痛くて痛くて」「『ウォーッ!』肩を脱臼した直後に腕立て300回」“最高の横綱”と対戦した元大関の告白

posted2023/01/21 17:01

 
「千代の富士さんの筋肉は鉄板…痛くて痛くて」「『ウォーッ!』肩を脱臼した直後に腕立て300回」“最高の横綱”と対戦した元大関の告白<Number Web> photograph by Getty Images

昨年ツイッターで突然拡散された千代の富士。写真は1983年の九州場所(11月場所)で

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佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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Getty Images

発売中のNumber1066号では、各界の超一流アスリートのフィジカルを特集。そのなかから、「千代の富士 証言で辿る『鋼鉄の胸板の秘密』」を特別に公開します。【全2回の2回目/#1へ】

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<令和の世にSNSで突如拡散された力士の写真。それは鋼の筋肉をまとった昭和の大横綱だった。力士離れした肉体美はどのように作られたのか。優勝31回を成し遂げた“ウルフ”の身体に迫った。>

「鉄板みたいに硬い。痛かったよ」

「千代の富士さんの筋肉は触ると硬くない。普段はタイヤのゴムみたいに弾力があった。ところが、いざ稽古になって彼が力を入れて一歩踏み込んだところに私の頭がぶつかると、もうその時は鉄板みたいに硬い。すごい衝撃で痛かったよ」

 互いに火の出るような猛稽古を重ねてきた元大関琴風――尾車親方の脳裏には、かつての感触が残っている。のちの千代の富士が「22年の現役生活のなかで一番の稽古相手だった」と感謝する存在だ。十両だった76年名古屋場所での初対戦から7連敗。押し相撲を得意とする琴風の一気の出足に当初は太刀打ちできなかったのだ。

 ある日の朝稽古、琴風のもとに千代の富士がフラッとひとり、姿を現した。「どうしたの?」と怪訝な顔をしていると、千代の富士はこう言った。「お前と稽古しに来たんだよ」。ふたりは異なる一門に属しており、当時はまだ一門外での出稽古の行き来は珍しいことだった。

「それまでの彼の相撲は、どこか軽く、当たってもすぐ上体が浮いてしまうので、こっちは二本差して一気に出ていく。すると彼は力任せに首を巻いて投げにくるのがパターンだったね」

 しかし、出稽古を重ねることで千代の富士の相撲が変わった。琴風から初白星を挙げたのは80年の九州場所。力任せに投げを打つようなことはなく、鋼の筋肉を生かす取り口に様変わりしていた。

「前褌をグッと取られて引きつけられて、こっちの体が浮いちゃった。吊り寄りで持って行かれ、それまでとはまったく違う相撲で負けた。そこから私は彼に勝てなくなって12連敗だよ(笑)」

 ちなみに、その前褌を引きつける千代の富士の握力は、新弟子検査時には左82kg、右79kgだった。これがトレーニング効果で左右ともに10kgずつ増加していた。

「ウォー!」肩を脱臼したのに腕立て300回

 得意の型を身につけ、天敵から初白星を奪ったその翌場所に、千代の富士は初めて賜杯を抱き、そして瞬く間に大関、横綱と駆け上がって行った。

【次ページ】 「ウォー!」肩を脱臼したのに腕立て300回

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