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5年前まで女子高だった新鋭校からドラフト指名「自信がない」早生まれ&実績ゼロ左腕をどう育てた?「タケノコのようにすくすくと」 

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高木遊

高木遊Yu Takagi

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posted2023/01/15 17:00

5年前まで女子高だった新鋭校からドラフト指名「自信がない」早生まれ&実績ゼロ左腕をどう育てた?「タケノコのようにすくすくと」<Number Web> photograph by Yu Takagi

躍進著しい浦和麗明高から初のプロ野球選手となった吉川悠斗(右/ロッテ育成1位)。佐藤監督は3年間の道のりを嬉しそうに振り返った(写真は昨年撮影)

 吉川と佐藤監督の最初の出会いは夏の練習体験会。前述のように“実績が皆無”だった吉川は塾の講師に勧められて浦和麗明を受験しているのだが、グラウンドへやってきた金の卵の素質に驚かされた。

「今よりも20キロくらい痩せていて細身だったのですが、 “バネがある。体さえできれば絶対に良くなる”と思いました。一瞬の腕を振るスピード、体が反転する時のスピードに才能を感じました」

 この時、吉川は「球が遅いのが嫌になって」とサイドスローからオーバースローに戻していた。こうした意志の強さや自己決定力は吉川の成長を支えていくことになる。

吉川が急成長した要因とは?

 佐藤監督は3年間での急成長の要因を「ブレずに考えられる人間だからだと思います」と分析する。高校1年生の頃から佐藤監督が「もっとこうした方がいいんじゃない?」と伝えても、ただ単純に同意するのではなく「これは投げやすい」「これは投げにくい」と意思表示がしっかりできていた。

 佐藤監督は吉川にそうした意志の強さがあったからこそ、フォームは極力いじることはしないようにした。今よりも極端だったインステップだけは「肩・肘・腰に負担がかかると思ったので」と、花咲徳栄・岩井隆監督に左腕・高橋昂也(広島)を指導した際の助言を請いながらある程度修正したものの、吉川の思考力の邪魔をしなかった。

 加えて、佐藤監督が最も大事にしたのは「壊さないこと」と「壊れない体をつくること」の2点だ。

「怪我をさせないように、させないように、厳しく指導してきました」

 たとえば、平日練習では球数を減らし、トレーニングに多くの時間を充てた。その分、休日の練習試合で場数を多く踏ませて投手としての形を作る、といった具合だ。

「特に吉川の場合は(中学時代に控えだったので)試合に出て覚えることが絶対的に多かったはずなんです。だから土日に連投させることもありましたけど、そうしたら月曜から水曜はノースローで、木曜・金曜でキャッチボールをして試合に備える。その間にインナーマッスルを鍛えるなどのトレーニングだけは、ひたすらやらせていました」

【次ページ】 「タケノコのように育ってくれました」

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