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中邑真輔と引退直前のグレート・ムタが元日に描いた“奇跡のアート”とは?「こんなものを見せられたら…」一夜かぎりの邂逅に抱いた感慨
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/01/05 17:01
プロレスリング・ノアの元日興行で実現した「奇跡の一戦」。毒霧で顔面を赤く染めた中邑真輔のコスチュームを引き裂くグレート・ムタ
武藤敬司は「2人にしか描けないアート」と表現
18分19秒のやりとりには、試合の前後も含めて中邑が見てきたアイドルとしてのムタと、そのプロレスが集約されていた。もし中邑が「武藤敬司の引退試合」の相手だったとしたら、また別の世界が表現されたのだろう。それと重なる部分は当然あるだろうが、「ムタならムタでこうなる」というものだった。
武藤はこの戦いを「2人にしか描けないアート、芸術的な最高の戦い」と表現した。
流血こそなかったが、毒霧で赤から緑に染まった中邑のその顔。中邑が花道を走ってムタに浴びせたラリアット。それらのシーンを、中邑はヒーローを真似る子供のような心で体現したのだろう。
2人にカメラを向けながら、東京ドームの長い花道や、1994年5月の福岡ドームでのアントニオ猪木vs.ムタを思い出していた。日本武道館という場所柄、1993年6月にはここで「親子対決」もあったなあ、とザ・グレート・カブキとムタのおどろおどろしいシーンまで思い起こしてしまった。
派手な技の応酬を見慣れてしまったファンに、プロレスという特異なジャンルがひとつの“答え”を与えたのが、元日の夜のムタvs.中邑だったとも言えるだろう。
見たいものを提供することは、プロモーターの使命だ。見たいものを用意できれば、人は集まる。単純だが、いろいろな思惑や制約があるから、簡単ではない。しかしそれをやろうとしなければ、プロモーター失格だ。結果的に今回は「とびっきりのお年玉」を用意できたことになり、試合後の評判も絶賛に近かった。
ただ、この試合に限らずだが、この日のリングのライティングは暗すぎた。動画ではきれいに映るかもしれないが、主催者は派手なステージだけでなく、生で試合を見せるための適度な明るさを提供すべきだ。スポットライトの明るさに対して、リング上が暗すぎてせっかくの毒霧が見えにくかったのはマイナス点だった。