“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「じゃあ、5年後はプレミアリーグだね」冨安健洋が“Jリーグ復帰”を目指す同級生にかけた言葉とは?「目標はメッシではなく、ずっとタケ」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakuya Kaneko/JMPA
posted2022/12/23 11:02
大会前の負傷もあり、万全な状態でW杯に臨めなかった冨安健洋。4年後に向けて再スタートを切った
もちろん、プレー面でも驚かされることばかりだった。
中学時代の冨安が得意なプレーとしていたのは最終ラインからのフィードやビルドアップ。正確なキックと的確なポジショニングによって試合を組み立てる役割を担っていたが、ヘディングが苦手だったことなど、現在の武器となっている1対1の強さや空中戦の迫力は決して長所ではなかったという。しかし、中学時代から常に上のカテゴリーでプレーすることが多かったことで、レベルの高い環境で抜群の吸収力を発揮し、すぐに高校年代のスピードと強度に順応。中3時には飛び級につぐ飛び級でトップチームの練習にも参加するようになった。
「高1の時に久しぶりにセンターバックでコンビを組んだのですが、タケのカバーリングやラインの上げ下げのスピードについていくのに必死でした。あっという間に吸収してしまう能力は当時から群を抜いていたと思います」
2015年5月には当時高2ながらトップチームに2種登録され、同年10月の天皇杯で公式戦デビュー。同期たちを差し置いてプロのピッチに立った。
「プレーよりも性格に魅了されていた」
思春期の血気盛んな時期なら、多少とんがっていてもおかしくない。だが、濱口は冨安のオフザピッチでの振る舞いが今も忘れられないという。
人の悪口は絶対に言わない。ジュース類も一切口にせず、お菓子は当然食べない。コンビニや自販機に寄っても水を買うか、そもそも何も買わないか。すべてサッカーを優先する行動は中学時代からずっと変わらなかった。さらに誰よりも早くにグラウンドに姿を現すのは何を隠そう冨安だった。練習の準備は他のチームメイトが集まり出した頃にはほとんどが完了。片付けもいつも率先していた。
「本当にストイックでしたね。年代別日本代表に選ばれても一切、偉ぶらない。裏表がないし、真っ直ぐだからこそ、みんなが自然と尊敬するようになり、タケの言うことを100%信頼するようになった。プレーもすごいのですが、みんなタケの性格に魅了されていたんだと思います。ついていきたくなる選手だったんです」