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三笘薫の「1mmアシスト」に反応…田中碧はなぜ救世主になれた? 信頼するトレーナーと目指した“地味なことを正しく100回できる身体” 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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posted2022/12/05 11:02

三笘薫の「1mmアシスト」に反応…田中碧はなぜ救世主になれた? 信頼するトレーナーと目指した“地味なことを正しく100回できる身体”<Number Web> photograph by Getty Images

スペイン戦で逆転ゴールを決めた田中碧。20年からケアを依頼する木下トレーナーに「次は僕がやるよ」と宣言して試合に臨んでいた

 振り返れば、出会った頃から田中は常に現状に満足をしていなかった。それはフロンターレという、常勝軍団に身を置いたことが何よりも大きいだろう。常に上には上がいる環境で、自分の足りないものが何か身を持って知ることが出来た。加えて、ボールをピタッと止めることにひたすら時間を費やしたり、中村憲剛の助言通りに首を振り続けたり、そういうヒントをものにする吸収力が田中には備わっていた。

「同じことをやり続けると消耗するものですが、碧くんは自分の成長のためなら単調なことでもモチベーションを落とさずにやり続けられる力がある。じゃあ僕がそれを100回でも200回でも出来る身体にしてあげることじゃないかと。練習が大好きだからこそ、いかにストレスフリーで練習に参加ができる身体に持っていけるか。パフォーマンスに直結する施術よりも、そっちの方に注力した方が将来につながると思いました」

ドイツ移籍後も続いた“質問攻め”

 木下のサポートにも支えられ、田中の成長曲線は右肩上がりだった。

 中盤でのボールキープ力、無理な体勢からでもパスを出す力が増した。激しいスプリントを何度も繰り返してもボールコントロールとパスの質は落ちない。相手を背負いながらターンするプレーやフィジカルコンタクトを受けながらも手と足でバランスを取ってドリブルするシーンも目立っていた。また、可動域を広げたことで疲労が溜まりにくい身体となり、90分フル稼働しても足を攣る回数は徐々に少なくなった。

 木下と出会ったシーズンでは初めてベストイレブンに選出され、翌年には東京五輪の主軸として活躍。カタールW杯の26人に名を連ねるまでに成長したのだった。

 昨年の夏、田中はドイツ・ブンデスリーガ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフに移籍している。海を渡ってからも木下とはリモートを通してコミュニケーションをとり続けてきた。

 コンディションを確かめながら「ここの神経を押したほうがいい」「この筋幹部を触って剥がしたほうがいい」と具体的な身体のケアを助言。頻繁に連絡がくるタイプではないというが「この医療器具はどう?」「この箇所の疲労を取りたい」「セルフケアで何をすべき?」と疑問が湧いた時には毎回相談がくる。

「一流か、それ以外かという差は、才能ではなく、怪我をせずにコンスタントに質の高い練習ができるかどうかだと思うんです。それを実行できる身体と心を持つのが田中碧という選手なんです」

【次ページ】 スペイン戦の前に届いた決意表明

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