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「小学生の頃の憧れはヒデトシ・ナカタだよ!」W杯出場は逃したが…元インテル主将ラノッキアが語る“濃すぎなイタリア猛将+名DF伝説” 

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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photograph byTakashi Yuge/Takuya Sugiyama

posted2022/11/23 11:02

「小学生の頃の憧れはヒデトシ・ナカタだよ!」W杯出場は逃したが…元インテル主将ラノッキアが語る“濃すぎなイタリア猛将+名DF伝説”<Number Web> photograph by Takashi Yuge/Takuya Sugiyama

ペルージャで特大のインパクトを放った中田英寿(2019年撮影)。ラノッキアの心にもその姿は焼き付いている

「コンテ監督はどんな試合でも絶対に勝ちたがる人だ。いつでも、どこでも、とにかく勝つことのみ。だから1つの黒星は彼にとっては大事件だし、選手にとっても大惨事だった(笑)。僕もあそこで一人前のプロ選手になった。セリエB(2部)とはいえ、あそこは紛れもない“本物のサッカー”の世界だった。少しずつ出場時間を増やして、ベテランたちに混じって継続的にプレーすることを覚えて自信も芽生えた。本当にいい経験だった」

一目会うなり、ギロリと睨んで…

――08年夏にセリエBのバーリに移籍して、ここでまたコンテの指導を受けますね。

「夏の移籍市場で僕の共同保有権をジェノアが買い取ったんだけど、バーリで2季目の監督だったコンテから『来い』とお呼びがかかってね。チームは完全攻撃志向だったけれど、彼が守備陣に求めることはわかっていた。僕らは勝ちまくって、リーグ優勝とセリエA昇格を見事達成したよ。ホームの『サン・ニコラ』では2部なのに毎試合5万人近くのサポーターが応援してくれて、アウェーチームの選手たちは皆、口をあんぐりしてた(笑)」

「翌シーズン、バーリでの2年目にセリエAデビューしたとき、対戦相手は(後に移籍する)インテルだった。今、考えると運命だったんだなと思うよ」

――インテルに入団して低迷期を耐え忍んだ後、19年夏に優勝請負人としてコンテがやってきた。旧知のあなたに何と注文をつけたんですか?

「一目会うなり、ギロリと睨んで『今さら何も言わなくても、俺がおまえに何を期待してるかわかってるよな?』と言われたよ(笑)。彼がインテルに来て、チームの空気は一変した。コンテ監督の指導はものすごくストレスフルで、骨が折れるし、毎日の真剣味もちがう。1年目にチームの土台を強固に作り上げて、2年目(20-21年シーズン)に悲願のスクデットを射止めた達成感は本当に大きいものだった。彼とはキャリアの長い時間を共有して、多くのものを授けてくれた。感謝してもしきれない」

イタリア代表としてW杯に出られなかったことに悔いはない?

――コンテのイタリア代表監督時代(14~16年)に、あなたもアッズーリで8試合に出場していますね。代表では何か特別な指導はありましたか?

「コンテ監督の指導メソッドで特徴的なのは、ビデオ動画をかなり活用することだね。選手は毎日1時間、とにかく何本も特別に編集された動画を見る必要がある。ほぼ真上から撮影された動画を何度も見返しながら、理想のポジショニングと照らし合わせてミスや改善点を叩き込まれる」

「試合後の反省でも何をどう間違えたのか、客観的に理解できるよう動画を使った指導は、チーム全体にも個人的にもすごく役に立った。動画を見せながら『おまえはここで1m右、もう一人は1m奥に寄せておくべきだった』とか、局面ごとの細かいディテールにまで指示がある。彼ほど勉強家の指導者はいないよ。戦術偏執狂? その通りさ(笑)」

【次ページ】 キエッリーニ、ボヌッチ、そして…

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