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アントニオ猪木が「右目に指を突き刺し、平然とえぐった」…英雄ペールワンとの“伝説の一戦”でブチギレた猪木が見せた「恐ろしさ」
posted2022/11/16 11:02
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
東京スポーツ新聞社
アントニオ猪木の全盛期である1970年代、「猪木の影武者」と呼ばれた男がいる。付き人として常にピタリと脇に付き、通常のシリーズはもちろん、異種格闘技戦や危険な海外での試合の際などに必ず猪木に帯同し護衛。スパーリングパートナーも務めた藤原喜明だ。
「当時、俺は自分のことを“弾よけ”だと思っていたからね。『この人のためなら死ねる』って本気で思ってたから。のちに(レフェリーの)ミスター高橋さんが、『猪木さんが、パーティには藤波(辰爾)を、危険な場所には藤原を連れていくって言ってたんだよ。ひどいだろ?』とか言ってたことがあるけど、俺は『なんだよ、それって名誉じゃん』って思ったからね。信頼されてなきゃ、危険な場所に連れていこうなんて思わねえもんな」(藤原)
そんな長年身体を張って猪木を守ってきた藤原が、「モハメド・アリ戦と並んで最も印象に残っている」と語る猪木の試合が、1976年12月12日(現地時間)にパキスタンのカラチ・ナショナルスタジアムで行われた現地の英雄アクラム・ペールワンとの伝説的な一戦だ。
「俺はあの試合のビデオをもらったんだけど、いまだに観てねえもんな。怖くて観れないんだよ。あの時のいや~な緊張感が、記憶によみがえりそうでさ」
藤原がそう語るペールワン戦は、猪木の38年におよぶ現役生活の中できわめて特殊な状況で行われた、極限のリアルファイトだった。
猪木のギャラは破格の「2試合で10万ドル」
猪木vsペールワンの一戦は、同じ1976年に行われた猪木vsモハメド・アリ「格闘技世界一決定戦」の影響を強く受けている。猪木vsアリはリアルファイトであったがゆえに膠着した展開が続く凡戦となり、猪木は世界中から酷評を浴び、9億円もの借金だけが残ることとなったが、同時に「アリと戦った猪木」の名は良くも悪くも広まり、世界中から試合のオファーが届くようにもなった。そして猪木は借金返済のために、異種格闘技戦を始めとした異質な試合を数多くこなしていくこととなる。アクラム・ペールワン戦もそんな中のひとつだった。
猪木の元に対戦オファーが届いたのはアリ戦からわずか2週間後。パキスタン大使館を通じての要請だった。相手は戦前に活躍したインドの伝説的なレスラー、グレート・ガマの末裔である、ペールワン一族ことボル・ブラザーズ最強の男、アクラム・ペールワン。パキスタン側から猪木に提示されたギャラは、2試合で10万ドル(当時のレートで約3000万円)と当時のプロレスでは破格の金額だった。
イスラム教徒の国であるパキスタンにおいて、モスリム(イスラム教徒)の世界王者であるアリはいわば神にも近い存在。ボル・ブラザーズらパキスタンのプロレス関係者たちは『アリと引き分けた猪木を倒せば、俺たちの価値が上がる』と考え、大金を用意してまで猪木招聘に動いたのだ。