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アントニオ猪木が「右目に指を突き刺し、平然とえぐった」…英雄ペールワンとの“伝説の一戦”でブチギレた猪木が見せた「恐ろしさ」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by東京スポーツ新聞社
posted2022/11/16 11:02
1976年、パキスタンのカラチ・ナショナルスタジアムで行われた「アントニオ猪木vsアクラム・ペールワン」
そして3ラウンド。猪木は左腕をリストで固めると、そのまま一気にダブルリストロック(腕がらみ)を極めた。アクラムはそれでもギブアップを拒否するが、さらに猪木が力を入れると、アクラムの左腕は脱臼し、レフェリーが試合を止めた。猪木は試合直前になってリアルファイトを迫ってきたアクラムを、見事返り討ちにしたのだ。
アクラムは「俺は目に指を入れられたから負けた」とエクスキューズを主張したが、それに耳を貸す者は誰もいなかった。力の差は誰の目にも歴然だったからだ。そしてこの一戦を機に、一族の名声は地に堕ち、ボル・ブラザーズは没落。パキスタンのプロレスの灯も消えることになった。
藤原が振り返る「『猪木さんが撃たれる』と思って…」
藤原は猪木vsペールワンの一戦をこう振り返る。
「試合をする上で一番怖いのは、相手が何をやってくるかわからないこと。そういう意味では、ペールワンほど怖い相手はいないよ。相手の情報がまったくなくて、どんな技を使うかわからない。しかもパキスタンなんて、当時の日本人にしてみたら神秘の国だからね。下手すりゃ、呪術や魔法を使うんじゃねえかって、そこまで考えてしまうほど、未知の相手っていうのは怖いんだよ。そういう相手でも、猪木さんは平然と腕を極めて勝つわけだからね。たいしたもんだよ。
それで勝ったあとさ、リングサイドにいた軍隊が一斉に銃を構えたんだよ。これは観客が暴動を起こさないように、軍隊が客席に向けて威嚇のために銃を構えたんだけどさ。でも、俺は『猪木さんが撃たれる』と思って、とっさに両手を広げて自分が弾よけになって守ろうとしたんだよね。今から考えると、バカだったよな~」
「猪木さんのためなら死ねる」というのは口先だけではなく、藤原は実際の行動でも示していたのだ。
「俺は本当に『この人のためなら死ねる』と思っていたからね。だけど俺が30歳のときに、ちょっと酔っ払って猪木さんに言ったことがあるんだよ。『猪木さん、すみません。猪木さんのために死ねなくなりました』ってね。そしたら猪木さんがニコッと笑って『コレか?』って小指を立てたんだよ。俺が結婚しようとしていたことにすぐ気づいたんだよね。まあ、猪木さんも“コレ”に関してはいろいろあったから、わかったのかもしれないけどな(笑)。でも、本当に猪木さんは、『この人のためなら死ねる』と思わせてくれる人だったよ」
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