オリンピックへの道BACK NUMBER

「羽生結弦さんを見る目がかわりました」元朝日新聞フォトグラファーが振り返る10年前“伝説のニース“「隣で“菅原さん”が涙を流していて…」

posted2022/11/13 11:02

 
「羽生結弦さんを見る目がかわりました」元朝日新聞フォトグラファーが振り返る10年前“伝説のニース“「隣で“菅原さん”が涙を流していて…」<Number Web> photograph by Hiroki Endo/Asahi Shimbun

2012年ニースで行われた世界選手権で演技をする当時17歳の羽生結弦。初出場で銅メダルを獲得し、今では“伝説”となっている演技を元朝日新聞フォトグラファーが振り返った

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph by

Hiroki Endo/Asahi Shimbun

 11月4日、アイスショー「プロローグ」が開幕し、新たなスタートを切った羽生結弦。10年前の2012年、当時17歳だった羽生がその名を一躍世界に轟かせたのがフランス・ニースで行われた世界選手権だった。“伝説”の演技を現地で見た元朝日新聞のフォトグラファー・遠藤啓生が当時を振り返った。(全2回のうち第1回/続きは#2へ)

 フィギュアスケーター羽生結弦を撮る中でインスパイアされてきたフォトグラファーがたくさんいる。

 その一人が、朝日新聞社で撮影を行ってきた遠藤啓生だ。

「個人的にフォトグラファーとして育ててもらった。それに尽きますね。彼を追うことでかなり成長できたし、フォトグラファーとしての醍醐味もすごく感じていました。スポーツってすごくいいよな、と思わせてくれたのが羽生さんでした」

 遠藤は2005年に朝日新聞社に入社し、記者や編集者、さらにはグループ企業のテレビ朝日での勤務など5部署を経験した経歴を持つ。そのキャリアで核となってきたのがフォトグラファーとしての仕事だった。

 中でも撮りたかったのはスポーツだ。「ワールドベースボールクラシック」など大きな舞台も経験してきた遠藤が初めて羽生を撮影したのは2010年4月の名古屋フィギュアスケートフェスティバルだった。

高校に入学したばかりの15歳の羽生

 当時、遠藤は名古屋に赴任していた。愛知県はフィギュアスケートが盛んなことで知られ、フィギュアスケートはカバーすべき主な競技の1つになる。つまりは仕事の一環として、遠藤は撮影に赴いた。

 フェスティバルに出演していた1人に羽生がいた。当時は高校に入学したばかりの15歳。披露したのがU2の『Vertigo』だった。

「U2ならではの重厚な感じの曲を、マッシュルームカットの羽生さんが、一生懸命踊っていたのを覚えています」

複雑な思いだった震災から1年後の出張

 そのときの印象を大きく覆される日はその2年後に訪れた。

 名古屋で羽生を知った後、遠藤はスポーツの現場から離れていた。2011年3月11日に東日本大震災が起こると、遠藤は被災地に毎月のように通い、被災した人々に話を聞き、状況を写真に収める役割をになっていたからだ。

 やがて震災から1年が経とうとするとき、思いがけない出張を命じられる。2012年3月下旬から4月初旬にかけてフランス・ニースで予定されていたフィギュアスケートの世界選手権への派遣だった。

「名古屋にいてフィギュアスケートを撮影する機会が多かったこともあって、選ばれたという感じです」

【次ページ】 あの15歳が17歳になったんだ

1 2 3 NEXT
#羽生結弦
#遠藤啓生
#菅原正治

フィギュアスケートの前後の記事

ページトップ