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オリンピックへの道BACK NUMBER
「羽生結弦さんを見る目がかわりました」元朝日新聞フォトグラファーが振り返る10年前“伝説のニース“「隣で“菅原さん”が涙を流していて…」
posted2022/11/13 11:02
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Hiroki Endo/Asahi Shimbun
フィギュアスケーター羽生結弦を撮る中でインスパイアされてきたフォトグラファーがたくさんいる。
その一人が、朝日新聞社で撮影を行ってきた遠藤啓生だ。
「個人的にフォトグラファーとして育ててもらった。それに尽きますね。彼を追うことでかなり成長できたし、フォトグラファーとしての醍醐味もすごく感じていました。スポーツってすごくいいよな、と思わせてくれたのが羽生さんでした」
遠藤は2005年に朝日新聞社に入社し、記者や編集者、さらにはグループ企業のテレビ朝日での勤務など5部署を経験した経歴を持つ。そのキャリアで核となってきたのがフォトグラファーとしての仕事だった。
中でも撮りたかったのはスポーツだ。「ワールドベースボールクラシック」など大きな舞台も経験してきた遠藤が初めて羽生を撮影したのは2010年4月の名古屋フィギュアスケートフェスティバルだった。
高校に入学したばかりの15歳の羽生
当時、遠藤は名古屋に赴任していた。愛知県はフィギュアスケートが盛んなことで知られ、フィギュアスケートはカバーすべき主な競技の1つになる。つまりは仕事の一環として、遠藤は撮影に赴いた。
フェスティバルに出演していた1人に羽生がいた。当時は高校に入学したばかりの15歳。披露したのがU2の『Vertigo』だった。
「U2ならではの重厚な感じの曲を、マッシュルームカットの羽生さんが、一生懸命踊っていたのを覚えています」
複雑な思いだった震災から1年後の出張
そのときの印象を大きく覆される日はその2年後に訪れた。
名古屋で羽生を知った後、遠藤はスポーツの現場から離れていた。2011年3月11日に東日本大震災が起こると、遠藤は被災地に毎月のように通い、被災した人々に話を聞き、状況を写真に収める役割をになっていたからだ。
やがて震災から1年が経とうとするとき、思いがけない出張を命じられる。2012年3月下旬から4月初旬にかけてフランス・ニースで予定されていたフィギュアスケートの世界選手権への派遣だった。
「名古屋にいてフィギュアスケートを撮影する機会が多かったこともあって、選ばれたという感じです」