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オリンピックへの道BACK NUMBER
「羽生結弦さんを見る目がかわりました」元朝日新聞フォトグラファーが振り返る10年前“伝説のニース“「隣で“菅原さん”が涙を流していて…」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byHiroki Endo/Asahi Shimbun
posted2022/11/13 11:02
2012年ニースで行われた世界選手権で演技をする当時17歳の羽生結弦。初出場で銅メダルを獲得し、今では“伝説”となっている演技を元朝日新聞フォトグラファーが振り返った
これ初めての世界選手権だろ。絶対に運がいいよ
「演技が終わって、フォトグラファーの席もざわついて、隣の席を見たら、菅原さんが涙を流していたんです。『遠藤、これ初めての世界選手権だろ。絶対に運がいいよ』と言われました」
遠藤の言う「菅原さん」とは菅原正治である。1985年からフィギュアスケートの撮影を始めてから国内外の大会を撮り続け、世界選手権も同じく1985年から毎年必ず撮影してきた。フィギュアスケート界では知らぬ者のいないベテランをして、そう言わしめたのである。
もともと羽生に対しては「撮りにくいな、という気持ちが正直ありました」と言う。
「羽生さんは手足が長いので、他の選手を撮った後だと、手足がファインダーからはみ出しやすかったのですね」
当時は、競技写真としてまず全身をおさえることが重視されていたから、どう写真の中におさめるか、苦労したという。
だがこの世界選手権では違った。
迫真の演技に惹きつけられ…
「彼の迫真の演技に惹きつけられ、鬼気迫る表情をとらえ続けることに必死で、彼の手足の長さのことはすっかり忘れていました」
その言葉もまた、ニースの世界選手権での演技を伝える貴重な証言だ。
試合を終えて表彰式での羽生も、心に残っているという。
「メダルを持って、めちゃめちゃうれしそうに、まるで少年の時に戻った顔をしていて。それがまたすごいギャップを感じて、『氷上では憑依していたんだな』、そんなことを思いました」
のちに明らかになったのは、羽生が棄権も考慮するほどの負傷をおしてフリーに臨んでいたこと。それが遠藤の脳裏に焼き付くほどの気迫を生んだ要因だったのだろう。
羽生から受けた鮮烈な印象。それは序章に過ぎなかった。その姿を撮る中で、遠藤はさらに学んでいくことになった。
(#2へ続く)