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千代の富士に九重親方が伝えた「筋肉ピクピクさせてでも威嚇しろ!」…本人は「“パパが負けて悔しくて泣いた”と言われたらね」
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byJIJI PRESS
posted2022/11/13 11:01
1985年秋場所で優勝した千代の富士(左は北勝海)
相撲熱の盛んな時代がずうっとずうっと
<名言2>
若貴ブームは2人で作った数字だけど、ウルフフィーバーは俺1人だからね(笑)。
(千代の富士貢/NumberWeb 2022年5月8日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/853137
◇解説◇
投げ主体から速攻相撲主体に変わった千代の富士は一気に番付を駆け上がる。
関脇時代の1981年初場所に初優勝を経験すると、大関在位わずか3場所で横綱昇進を果たすなど未曽有の「ウルフフィーバー」を巻き起こした。例えば初優勝の優勝決定戦で北の湖を破った日のテレビ平均視聴率は52.2%。瞬間最高視聴率は65.3%にも達したのだという。他競技で言えば……1994年の「巨人vs中日、10・8決戦」の平均視聴率が48.8%、日本代表が初めてサッカーW杯出場を決めた「日本vsイラン」の同視聴率が47.9%だった事を踏まえると、国民的関心事だったと言える。
千代の富士が引退を決断したのは、当時の若花田・貴花田など新世代の力士たちの台頭が大きな要因となった。
「今、相撲ブームだと言われている。いい現状でしょう。こういう相撲熱の盛んな時代がずうっとずうっと続いていってほしいと思います。そのためには皆に頑張ってもらわねばね」
引退時の言葉だ。当時の若貴ブームを喜びつつ、自らが角界を引っ張ってきたという自負もちょっぴりと見せていた。
<名言3>
頂上であって、同時に崖っぷちなんだよ。
(千代の富士貢/Number261号 1991年2月5日発売)
◇解説◇
当時の千代の富士はすでに幕内最高優勝31回を果たし、大鵬に並ぶ32回を目指す状況にあった。その中で横綱という立場をこう表現している。1敗しただけでも大騒ぎされ、3連敗でもしようものなら進退を問われかねない――とんでもない重圧がかかる地位に、千代の富士は26歳時から35歳まで、約10年間にもわたって幕内最高位の座に居続けた。
結果的に大鵬の大記録にあと「1」及ばず引退することになったものの、千代の富士が長年横綱として戦い続けた功績は何ら色あせるものではない。
「パパが負けて、悔しくて泣いた」と
<名言4>
「パパが負けて、悔しくて泣いた」と。そう言われたらね、こりゃ、もう頑張らなきゃいけない。
(千代の富士貢/Number271号 1991年7月5日発売)
◇解説◇
千代の富士という大横綱に再び脚光が当たったのは、1つのSNSでの投稿……というのは、2022年らしい事象だ。