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角田裕毅「あんな声援は人生で一度もなかった」初めてのF1母国開催、自身のルーツ鈴鹿で遂げた2年目の成長
posted2022/10/20 17:02
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images / Red Bull Content Pool
かつて母国グランプリを前に、ある日本人F1ドライバーはこう意気込みを語った。
「オーバーテイクされそうになっても、『ここは日本、前を走らせるわけにはいかない』という気持ちで鈴鹿を走りたい」
日本人以外のF1ドライバーたちの多くも、それぞれ母国グランプリがある。しかし、ヨーロッパ出身のドライバーとヨーロッパから遠く離れた国からやってきた非ヨーロッパ出身のドライバーとでは、母国グランプリに対する思い入れは違う。特に距離だけでなく、言葉も文化も宗教も異なる日本のF1ドライバーにとって、「日本GP」が特別な存在となるのは至極当然のことだ。
過去にF1で表彰台を獲得した日本人は、鈴木亜久里、佐藤琢磨、小林可夢偉の3人。そのうち鈴木と小林の表彰台が日本GPだったのは偶然ではない。走り慣れた鈴鹿でレースできるという地の利のアドバンテージもあるが、それ以上に大きいのが母国のファンから受ける声援だ。
飛躍のきっかけとなった鈴鹿での挫折
今年、その声援を受けて母国グランプリを走ったのが、角田裕毅だった。日本GPは角田にとって、単なるホームレースではない。日本GPの舞台である鈴鹿には、世界トップレベルのモータースポーツで表彰台を競う人材を育成する鈴鹿サーキットレーシングスクール(現在のホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿)があり、角田はそのスクールの卒業生だった。
角田にとって、鈴鹿はプロのレーシングドライバーになるための基礎を叩き込まれた場所。F1ドライバーを真剣に目指し始めたのも、挫折を味わったのも、この鈴鹿だった。角田は「ここで流した悔し涙をいまも忘れない」と言う。それはスクールを卒業した2016年のことだ。角田はスカラシップ選考会に進む4名に選ばれ、模擬レースに臨んだ。しかし、最後の肝心なレースで角田はフライングを犯してしまう。ドライブスルーペナルティを受けた角田はライバルたちの後塵を拝し、最終選考会でスカラシップを逃した。