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9歳でプロテスト合格…スターダム・AZMが“大人のチャンピオン”になるまで「“子供だから”が嫌だった」《20歳特別グラビア》
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/10/18 17:02
10月1日に誕生日を迎えたAZM。20歳を記念して、バーにて撮影を行った
「お父さんが武道を教えていて、私が小学生になった時に“何か習う?”って。でも空手とかの武道は礼儀作法に厳しそうなので、シュートボクシングのジムを選びました。ジムでも礼儀はしっかりしてなきゃいけないんですけどね。そこは子供の勘違いでした(笑)」
通い始めたシーザージム新小岩には、旗揚げしたばかりのスターダムでGMを務めていた風香のプロレス教室もあった。誘われてメンバーになった小学校低学年の「あずみ」はもともと活発で体を動かすのが大好き。プロレスの基本もどんどん吸収していった。
キッズファイター時代は「習い事感覚」
レスラーとしてはスターダム3期生。同期には宝城カイリ(現・KAIRI)もいる。もちろんみんな歳上だったが「私の悪ふざけに付き合ってくれたり、優しかったですね。友だちみたいな感覚でした」とAZMは振り返る。
「プロテストに受かった後も2年間、練習期間があって、正式デビューは2013年ですね。さすがに身体が細すぎたので。食が細いわけじゃなかったと思うんですけど、学校行って、友だちと遊んでプロレスの練習もして動きまくってたので。それに見合う量は食べてなかったかもしれない」
スターダム名物と言える「キッズファイター」として試合を始めた当初は「習い事感覚」でプロレスをしていた。リングの上では「子供」であることが目立つ。そのことをごく自然に受け入れていた。周りは大人で自分は子供。そういうものだという意識しかなかった。
「でも中学生になって変わりましたね。きっかけはキッドです」
初めて意識した“ライバル”キッドの存在
同世代のスターライト・キッドがデビューし、試合で当たることが多くなった。そこで初めて「負けたくない」という気持ちが芽生えた。
「ライバルとして意識した最初の選手がキッドです。運動神経もいいし社交的なところも凄いなって。私は人見知りだし、その頃は歳上の後輩も出てきて。どう接していいか分からなくてコミュニケーションを閉じちゃってたので。キッドがいたから“悔しい”とか“勝ちたい”って思うようになりましたね。キッドには“プロレスラーになってくれてありがとう”って思ってます」