甲子園の風BACK NUMBER
ヤンチャ集団を“甲子園16強”に育てた「北大津の名将」が現場復帰→就任2年で滋賀制覇「おとなしい子が多い。今はとにかく“褒める”」
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byFumi Sawai
posted2022/10/07 06:24
秋季滋賀大会・準決勝に勝利して初の近畿大会出場を決めた彦根総合高校。勢いそのまま初優勝を果たし、宮崎監督(左から2人目)は安堵の表情を浮かべた
滋賀県西部にある北大津は、いわゆるヤンチャな生徒が集まる“底辺校”と揶揄されていた。野球部に集まる選手たちも個性豊かで「とにかく声を張り上げて怒っていましたね」と、宮崎監督は厳しい指導と豊富な練習量でチームを鍛え上げた。
ヤンチャにはとにかく厳しさで立ち向かうしかない。だが、厳しさで固めるのではなく、選手との対話も大事にするのが宮崎流。選手に積極的に話しかけ、時には冗談を交えながら笑いを取るコミュニケーションは、今も多くの教え子に慕われている要因だろう。
94年から率いた北大津を初めて甲子園出場に導いたのは、就任から10年後の2004年夏。以降、06年から3年連続でセンバツにも出場し、08年では筒香嘉智(元ドジャースなど)を擁する横浜ら強豪校を倒して16強入りを果たした。10年夏も常葉橘、前橋商を撃破して16強入りするなど、北大津を全国の舞台に押し上げた。
「怒るが9で褒めるは1。でも今は…」
宮崎監督はその後、17年に県立安曇川高校に転勤。同校でも野球部監督就任の打診があったが、すでに若い監督が部の指導を行っていたため「若い指導者の邪魔はできない」と監督就任を固辞。ハンドボール部の顧問などを務めていたが、定年退職を翌年に控えた20年3月に公立高校の教諭を退職し、一念発起で無名の彦根総合に赴任することを決意した。
だが宮崎監督は、“当時の選手”とは180度違う“現在の高校生”の資質に驚かされたと語る。
「おとなしい子が多いんですよ。北大津の時は声を張り上げたら“なにくそ”みたいな感じで跳ね返ってくる子が多かったんですけれど、彦根総合はそうじゃない。だからね、今はとにかく“褒める”。嘘でもええってわけではないですけれど、とにかく褒めながら指導することを心掛けました」
時代の流れ、とでも言うべきなのか。最近の子供は怒られることに慣れていないと言われているとはいえ、野球の厳しさも叩き込みたい。それでも感情任せに出てきそうになる言葉を何度もグッと飲み込んだ。
「(北大津時代は)怒るが9なら褒めるのは1くらい。でも、今は褒めるのが4で怒るのは6くらいちゃいますかね」