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大学野球PRESSBACK NUMBER
「ドラフト競合必至」明大2年・宗山塁が明かす“甲子園中止”の広陵時代…「寮が閉鎖されて」「どうして正式決定前に報道が…」
posted2022/10/08 11:00
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph by
Number Web
小学生時に決意…父と同じ広陵へ
広陵の三番打者・中村奨成(現広島東洋カープ)が数々の打撃記録を塗り替えた2017年夏の甲子園。14歳の野球少年が彼らの戦いを見ていた。
「父親が広陵野球部OBで、中井哲之監督の教え子だったこともあって、アルプススタンドで応援していたんです。先輩方が広陵の野球を貫いて勝ち上がっていくのを見て、憧れがさらに強くなっていきました」
あれから5年。広陵で2度甲子園に出場したあと明治大学に進んだ19歳、大学2年生の宗山塁は、わずか3シーズンで東京六大学を代表する選手になった。
2021年(大学1年時)春、ショートのレギュラーをつかみ、法政大学のエース・三浦銀二(現横浜DeNAベイスターズ)から初ホームランを放った。秋には打率.378でベストナインを受賞。2022年春のリーグ戦では24安打、打率.429で首位打者を獲得。三番打者としてチームをリーグ優勝に導いた。
2003年2月生まれの宗山は、新型コロナウイルス感染拡大のために「甲子園を奪われた」選手のひとりだ。
中学時代から名を知られた存在だった宗山は、地元の広島はもちろん、他県の強豪校からも勧誘を受けた。しかし、小学生の頃から広陵で野球をすることを心に決めていたという。
「父から広陵野球部について聞かされていました。中井先生がどんな方なのか、どういうことを教わったのか。『昔はもっと怖かったぞ』とも。中学まで家ではリラックスして過ごしていましたが、寮生活には集団生活のルールやマナーがあります。慣れるまでは苦労しましたし、しんどいなと感じることもありました。でも、そのうち、自分のなかで普通になっていきました」