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「武豊さんはストライカーで、僕はパサー」長年のサッカー経験を競馬にも活かす、ジョッキー・福永祐一の司令塔気質とは

posted2022/10/04 11:00

 
「武豊さんはストライカーで、僕はパサー」長年のサッカー経験を競馬にも活かす、ジョッキー・福永祐一の司令塔気質とは<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

フリットに憧れるサッカー少年だった福永騎手。サッカープレイヤーとしてのスタイルは競馬の考え方にも影響を及ぼしているという

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Takuya Sugiyama

 長年トップジョッキーとして競馬界を牽引し、2020年にはコントレイルでクラシック三冠を達成した福永祐一騎手。父・洋一さんも騎手だったため幼少期から“馬一筋”かと思いきや、競馬学校に入る直前までサッカー部に所属し、デビュー後も騎手仲間と結成した「サッカー部」の部長を務めるほどの“フットボール愛好家”だ。少年時代にあこがれた選手や、現在の騎手生活にも通じる好みの「スタイル」について話を聞いた。

――福永さんは小学校、中学校とサッカー部だったとのことですが、始めたきっかけは?

福永 学校が私立の1学年1クラスくらいしかないところで、部活もサッカー部と放送部しかなかったんです。それで小学3年生の時にサッカー部に入りました。『キャプテン翼』が人気の頃でしたしね。

 中学卒業後は競馬学校に入りましたが、それまではサッカー一筋でしたね。中学時代は通学に片道1時間半くらいかかったんですけど、朝練も休まず行ってました。一方でジョッキーへの興味もあって、小学5年生の時に栗東トレーニングセンターの乗馬苑で乗馬も始めたんです。でも日曜日のサッカーの試合に出られなくなって、乗馬の方を1年間でやめちゃって(笑)。チームは県大会に進めるかどうかのレベルで、僕はぎりぎりレギュラーという感じ。中2の時にブロック予選を勝ち抜いて県大会出場を決めたときの嬉しさは忘れられないです。

――ポジションはどこでしたか?

福永 左のサイドハーフでした。足も速くないし、身体能力はそんなに高くないけど、器用で、パスは他の人よりちょっとうまく出せるというタイプ。僕、右足も左足も同じように使えるんです。箸も両方使えますし。ジョッキーは鞭を両手で使えないといけないので、その点は役立っています。

オランダの影響を受けたサッカー少年時代

――好きなチームや憧れの選手は?

福永 Jリーグはまだなくて、最初はとにかく『キャプテン翼』、滝くんのライン際のドリブルを真似してやってました(笑)。そのうちテレビで試合を観るようになって。ワールドカップでいえば1986年メキシコ大会や1990年イタリア大会かな。マラドーナの全盛期なんですが、僕はオランダが好きでしたね。ファンバステン、フリット、ライカールトの時代で、特にフリットが好きでした。自分がパサーになったのもオランダのサッカースタイルが影響していたのかもしれません。

 スーパーファミコンの『スーパーフォーメーションサッカー』でも、いつもオランダを使ってました。ゲームは好きで、20代前半の頃は『ウイニングイレブン』をジョッキー同士でよくやってましたね。

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