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甲子園の風BACK NUMBER
《延長17回秘話》PL学園4番が悔やむ横浜・松坂大輔を仕留め損ねた1球「唯一ホームランにできたボールだった…」「今でも夢に出てきます」
posted2022/10/04 11:03
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph by
JIJI PRESS
上空を旋回するヘリコプターが、その試合の注目度を表していた。延長の回数が進むにつれ、回転するプロペラが目に入る。PL学園の4番打者だった古畑和彦は、その光景を今でもはっきりと覚えている。
「延長16回くらいから再試合になるのかなって思っていて、上を見たらヘリコプターが飛んでいるんですよ。特別な試合になるから撮影しているんだろうなっていう感触はありました」
球史を変えた横浜高校vsPL学園戦
もはや多くの説明は不要だろう。1998年8月20日、夏の甲子園、横浜高校vsPL学園。史上最高の準々決勝、いや、球史に残る一戦となった延長17回、3時間37分に及ぶ壮絶な死闘は、その後の高校野球の歴史を大きく変えた。
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2000年に延長18回から15回へと短縮され、2018年からは13回以降のタイブレーク制。3回戦、準々決勝、準決勝終了翌日にどの高校も試合を行わない休養日。投手1人につき1週間500球以内の球数制限。それらの導入は、この試合が契機になったといっても過言ではない。
あれから24年。その記憶は薄れるどころか、むしろ鮮明になっていく。あの試合、250球を投げ込んだ松坂大輔のインパクトはそれほどまでに強烈だった。
この代は横浜高校とPLと大阪桐蔭やぞ
古畑が横浜高校の存在を認識したのは、新チームが始動した1997年の秋。当時PLのスカウトだった井元俊秀さんからこう声をかけられたという。
「この代は横浜高校とPLと大阪桐蔭やぞ」
当時はスマホもなく、簡単に情報が集められない時代。全国を飛び回る井元さんだからこそ、この3校に世代の好選手が集まっていたことが分かっていた。
今までの歴代ナンバーワンやな
「僕らは(秋の大阪府大会4回戦で)大阪桐蔭は倒していたんで、あとは横浜やな、っていうのは絶対あるんですね。でも松坂はよく知らなかったんですよ。『松坂大輔ってピッチャーがいて、凄いらしいぞ』『そうなんや』くらいです」