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舞の海の“頭にシリコン”だけじゃない? 角界入りをかけた新弟子検査の悲喜劇「測定時に背伸び」「横になったままトラックで会場に」
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph byGetty Images
posted2022/09/18 11:02
頭にシリコンを入れて新弟子検査に臨む舞の海と、身長を測定する北の湖親方。激痛に耐える舞の海を気遣い、カーソルを少し浮かせていたという
体重がわずかに足りない者は検査当日、一升瓶に入った水をラッパ飲みして挑むこともあった。また、過去には体重計に飛び乗って針が大きく振れたところで、検査担当の親方もほんの一瞬、針が指し示した数字を見逃さず、両者の“阿吽の呼吸”によって規定体重をクリアしたという話も漏れ伝わる。
のちの名大関はたんこぶ+髪を固定+背伸びで合格
のちの名大関・旭國は力士を志し、中学3年の秋に北海道から上京して立浪部屋の門を叩いたが、身長が足りずに新弟子検査に4度も落ちた。入門しながら半年以上も初土俵が踏めず、その間に後から入ってきた新弟子たちが検査をパスし、どんどん出世していくのを見ては悔しい思いを募らせていた。“ムダ飯食い”の引け目があるだけに、朝は他の新弟子たちよりも早く起きて掃除や洗濯、雑用などを率先してやったという。
心が折れかけたが、5度目の挑戦となる昭和38年名古屋場所の新弟子検査は頭にたんこぶを作り、1年近くも伸び放題となっていた髪を頭のてっぺんにかき集め、びんつけ油で固めると、さらに背伸びをしてようやく合格となった。
押し相撲一筋で大関に上り詰めた大受も、入門から3年越しで新弟子検査をクリアして力士の仲間入りを果たした。体は小さいながらも押し相撲の素質を見抜いた関係者の目に留まり、中学1年のときの昭和37年6月、高島部屋に入門する運びとなった。当時は“中学生力士”が認められていたが、のちの大受もこのときは158センチ、73キロ。体重は問題なかったが、身長は合格基準より15センチも足りない。中学3年の夏になっても身長は一向に伸びなかった。