Number ExBACK NUMBER
“スポーツマンNo.1”初参加で優勝、飯田哲也が本気になった理由「Jリーガーには絶対に負けたくない」「楽屋では『無理したらケガするよ』とか言ってたのに…」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byTakashi Shimizu
posted2022/09/13 17:00
1995年大会で初優勝の飯田。本人に当時の話を聞くと…
飯田 見た目はめちゃくちゃ怖いです。見たこともない、やったこともないわけですから。「これは体操選手が有利だな」と思いました。事前に何回か練習で跳ぶんですけど、怖さとの闘いでしたね。だから、僕はロイター板の位置をずらしました。
――どういうことですか? 詳しく教えてください。
飯田 池谷くんを見ていたら、ロイター板を跳び箱に近づけて、真上に上がって跳んでいるんです。でも、僕は目の前に跳び箱がある怖さをどうしても払拭できなかったから、ロイター板を跳び箱から離しました。体操選手が真上に飛ぶのに対して、僕の場合は斜め前方に飛ぶイメージです。行き当たりばったりだったけど、距離を離したことで怖さはかなりなくなりました。
――本番ではJリーガー・小倉隆史さん、体操・池谷幸雄さんと三つ巴の戦いとなり、飯田さん、池谷さんがともに16段を跳んで「跳び箱部門」で優勝を果たしました。
飯田 ここで優勝したことで、「飯田、すげぇ!」ってなったんだと思いますね。ちなみに池谷くんは転がり落ちながら、何とか成功したんだけど、僕はスパンってきれいに着地を決めたんで、僕のイメージがよくなったんじゃないですかね(笑)。
決勝戦も、本当は僕は負けていたはずなんです
――200キログラムの巨大丸太を引っ張る「人間ばん馬」や、「1対1綱引き」などパワー系競技では苦戦を強いられたものの、「50m走」でも見事に優勝しました。決勝の相手となったのは武田修宏さんでした。
飯田 予選レースを見ていたので、始まる前から「勝ったな」とは思っていました。タイムを見ていればわかるし、実際に問題なく勝てたと思います。
――そして、次々と競技を消化し、いよいよ最終種目は「ビーチフラッグス」でした。寝そべった状態から笛の合図とともに前方の旗を奪い取った方が勝利する。ベスト4には6種目終了時点で総合4位の飯田哲也、武田修宏、秋田豊(総合2位)、池谷幸雄(総合9位)という顔ぶれとなり、決勝は池谷さんとの一騎打ちとなりました。
飯田 この競技は圧倒的に池谷くんが速かったです。彼は起き上がるのが速くて、ダッシュも速い。決勝戦についても、本当は僕は負けていたはずなんです。
――ところが、スタートで出遅れたものの、実際にフラッグを奪い取ったのは飯田さんでした。勝因を教えてください。
飯田 最終的に僕が勝ったのはダイビングの差でした。スタートでは完全に出遅れていたし、「負けた」と思いながら飛び込んだんですけど、結果的に僕がつかみ取っていました。間違いなく、日頃からヘッドスライディング、ダイビングキャッチを経験していた成果だと思います。池谷くんも、きっと「勝った」と思っていたはずです。でも、僕は低い位置からダイビングをして横取りしたけど、池谷くんは高い位置から飛び込んだので、その差が出たんだと思います。
(第2回に続く)
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。