Number ExBACK NUMBER
“スポーツマンNo.1”初参加で優勝、飯田哲也が本気になった理由「Jリーガーには絶対に負けたくない」「楽屋では『無理したらケガするよ』とか言ってたのに…」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byTakashi Shimizu
posted2022/09/13 17:00
1995年大会で初優勝の飯田。本人に当時の話を聞くと…
飯田 出演料のこともケガのことも何も考えずに、オファーが来た、時間がある、「じゃあ、出ます」というただそれだけのことで、「有名になろう」とか、「絶対に1位になるぞ」という思いは全然なかったです。ただ、「面白そうだな」と感じたくらいのことでした。
プロ野球選手は絶対に負けてはいけない
――第1回の出場メンバーを見ると、プロ野球界からは飯田さんの他に、清原和博、佐々木誠、広沢克実、内藤尚行、伊良部秀輝さんが出場しています。その他にもJリーガー、プロレスラー、プロボクサーなど、多彩な顔ぶれが並んでいます。
飯田 他の出場者の顔ぶれを見たときには「絶対に負けられないな」と思いました。「野球界を背負っている」とまでは思わなかったけど、運動神経で勝負するのならば「プロ野球選手は絶対に負けちゃいけない」と思いました。個人としても勝ちたいけど、まずは「野球が勝たなくちゃいけない」とか、「野球選手は運動神経がいいんだ」というところは絶対に見せたかったですね。
――93年に発足したJリーグからは武田修宏、小倉隆史、永井秀樹、秋田豊選手が出場。他にも、プロレスラーの藤原喜明、格闘家・佐竹雅昭、体操の池谷幸雄さんなど、本当に豪華なラインナップです。
飯田 当時、すでにスター選手ばかりの中に、まったく無名の「飯田哲也」ですからね。最初から、「自分はオマケみたいなものなんだ」という思いはありましたね。特にライバル視した人はいなかったけど、パワー系はともかくスピード系競技では「足の速いJリーガーには絶対に負けたくない」という思いはありました。
――飯田さん以外の他の選手の意気込みはどんなものだったのですか?
飯田 僕自身、最初は「テレビ番組の収録だ」という軽い気持ちで会場入りしたんですけど、競技場に入って、すぐにスイッチが入りました。他の出演者の人たちも、楽屋では「無理したら、ケガするよな」とか言っていました。こんな大真面目なスポーツ大会とは、誰も思っていなかったのに、いざ競技開始となったらみんなマジでした(笑)。やっぱり、アスリートの本能なんじゃないですかね。
Jリーガー・小倉隆史、体操・池谷幸雄と三つ巴の戦い
――この番組の名物にもなった「モンスターボックス」と呼ばれる巨大跳び箱にも挑戦したわけですが、事前の「プレ大会」では13段までだったものが、この大会から18段、2メートル50センチ、電話ボックスを超える高さとなりました。制作した業者は「何かあっても一切責任は負えません」と言っていたそうですが、巨大跳び箱を目の前にしたときの第一印象を覚えていますか?