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プロ野球記録「バレンティンの60発」はいかに生まれた? ヤクルト同僚&対戦相手の証言「ああいう性格だから(笑)」「初球の打率、知っとる?」
posted2022/09/13 11:01
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
KYODO
信じがたい光景だった。
「……こんなのあんのかよ」
ヤクルトが陣取る一塁側ベンチから、その放物線の行方を眺めていた相川亮二は、開いた口がしばらく塞がらなかった。
9月10日、神宮球場。相川の同僚で、彼のことを特別に慕うバレンティンは、その第1打席で、ある意味、常識を覆すバッティングを見せた。セ・リーグを代表する好投手、前田健太の1ボール2ストライクからの4球目、顔の高さのストレートを伸び上がりながらフルスイング。すると、「カッ」という快音を残し、打球は高々と夜空に舞い上がった。
バレンティンが使用している米国バットメーカー、オールドヒッコリー社製のメープル素材のバットは高く短い音がするのが特徴だ。国内産のメープルバットは通常、打った後にボールの縫い目がつくが、バレンティンのはほとんどつかない。それぐらい硬質なバットだった。非力ゆえに木のしなりを重視する日本人にはなかなか使いこなせないバットだ。
前田健太「あの高さを打たれたのは初めて」
逆「U」の字に近い弧を描いた打球は、大観衆の目をしばらく楽しませ、やがてバックスクリーン左横の最前列席へ落ちた。シーズン最多本塁打記録にあと1本と迫る54号ホームランだった。相川が解説する。
「高めのくそボールですからね。想像できない。あんなボールをどうやったら、あそこまで上げられるのか。なんとか上から叩きつけても、普通はラインドライブがかかるだけ」
打たれた前田は呆然と打球を見送った後、何度となく首を横に振った。
「あれはバレンティンでなければホームランにできないと思う。あの高さを打たれたのは初めて。1球、外に変化球を挟んで、そのあと高めにいったんですけどね。読まれていたのかもしれない」
今シーズン、バレンティンはホームランを打った後、相川と目を合わせるのが習慣になっていた。すると相川が手のひらを下に向けるジェスチャーを送る。気持ちを抑えろよ、そんなメッセージだった。しばらくするとバレンティンの方から機先を制し、胸の前で小さく手刀を切るような仕草を見せるようになった。この打席のことはもう忘れて1打席ずつ切り替えていくよ、という意味だった。