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“スポーツマンNo.1”初参加で優勝、飯田哲也が本気になった理由「Jリーガーには絶対に負けたくない」「楽屋では『無理したらケガするよ』とか言ってたのに…」
posted2022/09/13 17:00
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
Takashi Shimizu
この番組で有名になり、この番組に育てられた
――95年の初回放送から、すでに四半世紀以上が経過しています。この番組に関する思い出は、いまだに生々しく息づいているものですか? それとも、遠い過去のものですか?
飯田 いや、もう昔の出来事という感じですね。ただ、以前もこの番組に関するインタビューを受けたこともあったし、たまに「あの跳び箱の人ですよね?」と声をかけられることもあります(笑)。僕の顔と名前が売れたのはこの番組だし、この番組が僕を育ててくれたと言ってもいいと思いますね。
――野球ファンにとっては「ヤクルトの飯田」でも、世間の人にとっては「筋肉バトルの飯田」という感じですか?
飯田 まさに、そんな感じです。何しろ、正月早々、元日の放送で多くの人が見ていたので、放送直後は「番組見ましたよ」とか、「優勝おめでとう」と、よく声をかけられました。だから、「一応、野球もやっています」と必ずつけ加えるようにしていました(笑)。
――そもそも、この番組に出演するきっかけは何だったのですか?
飯田 95年の第1回大会の直前のことですけど、そもそもTBSサイドから古田(敦也)さんにオファーが来たんです。でも、古田さんは「僕よりももっとすごいヤツがいるから、そいつがいいのでは?」と交渉して、僕のことを推薦してくれたんです。当時の僕はそんなことは何も知らずに、ヤクルト球団から、「こんな依頼が来ているけど、どうする?」と聞かれたので、「行きます!」と軽いノリで決めました。
「絶対に1位になるぞ」という思いは全然なかったです
――「第1回」ということは、まだどんな番組で、どんな競技が行われるかという実感もなかったと思います。企画内容についてはどれくらい説明を受けていたのですか?
飯田 まさか、こんな大きな番組だとは思わなかったですね。事前に「こんな競技があります」と書かれた企画書を見ながら説明を受けたけど、結局どんなものかはよくわからず、当日会場に行って初めて、「あぁ、こんなことをやるのか」と知ったぐらいでした。
――いくらシーズンオフとはいえ、「故障したらどうしよう?」という不安などなかったですか?