高校サッカーPRESSBACK NUMBER
“先輩と監督が絶対”を撤廃したサッカー部・初年度主将の苦悩「僕があまりに頼りなかったので…」しかしチームは着実に変化した
text by
加部究Kiwamu Kabe
photograph byAFLO SPORT
posted2022/09/11 11:02
堀越高校は第99回全国高校サッカー選手権にも出場した
藏田も旧来の流れを覆そうと孤軍奮闘を試みるが、学校の方針と相容れずに一人浮いてしまい頓挫する。それだけに佐藤が、同様の方法論を学んできたなら「どんどんやってください」と奨励した。
さらに元野球部監督でサッカー部へは部長としてやって来た山口泰男も、ボトムアップ方式に理解を示し活動を後押しした。「サッカーのことは、よく判んねえけど」と前置きしながら、「人として」「堀越の生徒として」あるべき姿を説き、挨拶や身だしなみなどを奨励し、保護者等からのクレームには率先して盾になってくれた。
藏田は、始まったばかりの佐藤の改革を見守り支えていく覚悟を固めていた。
《突っ込まれたら謝罪するし、それでも辞めろと言われたら、そうするしかない》
堀越高校のサッカー部は、まだ暗黒時代の流れを引きずっていた。一応全面コンクリートの部室はあるが、壁には落書きが目立ち、まるで洞窟のように外光が入らず、雨が降れば室内には水溜まりが出来て足首まで浸かった。ところがそんな汚れた密閉空間でも、練習をさぼって引きこもりゲームに熱中する部員がいた。結局部室は間もなく閉鎖され、選手たちはグラウンド脇の石段で着替えを済ませることになる。
練習中に少しでも厳しいことを言われた生徒が不貞腐れてしまうのは日常茶飯事で、藏田が「やらないなら帰れよ!」と叱責すれば、そのまま黙って帰途に就く者がいた。また「ケガ人をサポートします」「少し体調が悪いので休みます」などと適当な理由をつけて練習をさぼり、後から遊びに行っていたことが発覚するケースも目についた。
佐藤が危惧していた通り、当時の生徒たちにとって部活は上意下達で課される苦役のようなもので、それより楽しい束の間の息抜き手段はいくらでも思いついた。
試行錯誤の連続、「どうしたらいいのかな……」
指導者と選手の関係がトップダウンの上意下達なら、選手間にも同じ空気が流れて行く。戸田が入学して来た頃の3年生は「何かあると部室に呼び出す」という噂があり怖い存在だった。1学年下の鈴木も《上級生は暴力が頻発するほどではなくても高圧的》だと感じていた。
夏の菅平合宿では全学年が大部屋で寝泊まりするのだが、練習が終わると3年生が黙って洗濯ネットを足もとに放り投げていく。下働きは下級生に押し付ける習慣が色濃く残っていた。
戸田には、佐藤が選手との距離の取り方を歯痒く感じているように映った。
《すべてに介入するわけではなく、ある程度自主性を尊重し淡々と指導をこなしている。でも本当はもっと焚きつけていきたいんだろうな》
本来佐藤はリーダー気質の熱血漢だった。そんな佐藤からバトンを受けたのが、正反対のタイプで、しかも周囲と同じ生徒の立場の戸田なのだから、キャプテンへの重圧や負担は想像を超えていた。戸田の学年には「これをやりましょう」と声をかけても、そのまま従ってくれるタイプは一人もいなかった。ミーティングになれば必ず意見が衝突し、戸田は間を取って「じゃあ、こうしよう」と仲裁に入るしかなかった。
前例のない取り組みで舵を取る不安もあり、戸田も事ある毎に「どうしたらいいのかな……」と極力チームメイトを集めて話し合いを重ねた。