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“先輩と監督が絶対”を撤廃したサッカー部・初年度主将の苦悩「僕があまりに頼りなかったので…」しかしチームは着実に変化した
posted2022/09/11 11:02
text by
加部究Kiwamu Kabe
photograph by
AFLO SPORT
これからは自分たちで決めてやりなさい
2012年春、堀越高校サッカー部Aチームの指導を担う佐藤実は、波崎から戻り新学期を迎えるとキャプテンの戸田裕仁を呼び「これからも選手主体でやっていくから、おまえが全部決めて進めてくれ」と伝えた。
戸田は真面目で守備に穴を空けないタイプのディフェンダー(DF)で、2年生の頃から試合に出ていた。実はフォワード(FW)の選手が先にキャプテン候補に挙がっていたのだが、当時の藏田茂樹監督から「後ろの選手(DF)の方が良いんじゃないか。どうだ?」と打診された。
同学年には自己主張の強い個性派が多く前途多難が想定されたせいか、希望者は限られていた。さらに佐藤も「戸田は頼まれれば断れないタイプ」だと見切っており、父が幼児・小学生のチーム、T.T.Kサッカークラブの代表を務めていたので、将来指導者になるなら良い経験になるだろうと後押しする。要するにどちらかと言えば戸田は周囲に祭り上げられる形でキャプテンを受け、それでも《先輩たちがやって来たことを引き継いで頑張ろう》と切り替えていた。
ところがキャプテンとして始動した途端に、一転して全権を任された。
青天の霹靂で《僕がそんなことをやっていいのか?》と戸惑うが、どうやら佐藤は本気らしい。確かに波崎での最終戦では「もうおまえたちの面倒はみない」と言い放ち、選手たちは主体的に戦って勝つことが出来た。
だが当然佐藤の命は、1試合限定のものだと思っていた。つまり単なる実験ではなく堀越高校サッカー部全体の指針が変わることを理解すると、戸田には一気に重圧が押し寄せてきた。
なんだ、それ? そんなことやって大丈夫なの?
戸田は早速都内での練習試合を終えると、同学年の長谷川翔一、川出京一、増田晃明、それに2年生の鈴木信司、入学したばかりの石上海と5人のリーダーたちを集めて佐藤の意向を伝える。
どの目も点になっていた。鈴木は《波崎での四日市中央工業戦でガーッと怒って上手くいったから、これで行こう》と半ば衝動的な決断だと思った。
新入生の石上への衝撃は、さらに強烈だった。
《なんだ、それ? そんなことやって大丈夫なの? それにどうやってやるのか判らないし……》と、まだ高校生活にも慣れていないのに脳裏に「?」が散乱した。
しかし選手たちの混乱とは裏腹に、広島での視察研修を終えた佐藤はボトムアップ方式の効果を確認していた。特に広島大河FCの浜本敏勝総監督が、子供たちと同じ目線で楽しそうに指導している姿には触発された。