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栗東って読めますか? 滋賀県にある“ナゾの競馬駅”「JR栗東駅」には何がある?「53年前、滋賀の寒村に競馬トレセンが出来た深い事情」 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph bySankei Shimbun

posted2022/08/14 17:02

栗東って読めますか? 滋賀県にある“ナゾの競馬駅”「JR栗東駅」には何がある?「53年前、滋賀の寒村に競馬トレセンが出来た深い事情」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

栗東トレセンでエアグルーヴに乗る武豊(1998年撮影)。栗東といえばトレセンが思い浮かぶが、JR栗東駅には何があるのだろうか?

 こういった東口の駅前風景は、栗東駅が開業したことによる激変の結実だ。開業直後の1992年度には3500人に満たなかった1日に乗車人員も、いまでは1万2000人前後にまで増えた。栗東市の人口も1990年には約4万5000人だったところ、いまでは約7万人。栗東駅開業のパワーはいかばかり。なんだかんだで、鉄道の存在感は大きいものがある。

田中角栄「栗東町はかつて工場ひとつない寒村だった」

 ただ、栗東の町がこれだけ成長した背景を単に栗東駅だけに求めることはできない。むしろ栗東という町は、鉄道ではなく高速道路によって大きく姿を変えた町というほうが正しいのだ。

 1963年、現在の栗東市域に名神高速道路が通り、栗東インターチェンジ(IC)が設けられた。名神は日本で初めての高速道路だから、そのICに恵まれたことは栗東の町にとってそうとうに大きなインパクトのあるできごとだっただろう。

 事実、栗東ICを降りるとすぐに広がっていた田園地帯はあっという間に開発のターゲットになった。瞬く間に中小の工場が建ち並ぶようになり、いまも積水化学や日清食品、リチウムエナジージャパンなどの工場がICのすぐ近くに建っている。栗東駅前の姿はすっかり京都のベッドタウンだが、実際の栗東の本質は“工業都市”なのだ。

 かの田中角栄は『日本列島改造論』の中でこう書いている。「滋賀県の栗東町はかつて工場ひとつない寒村だった。それが名神高速道路ができ、ICが設けられるとともに、二百数十社の工場が進出し、新興工業地区へと一変した」。栗東の町は、まさに戦後日本の成長の象徴のような町だったのだ。

53年前、なぜ栗東にトレセンができたのか?

 そんな栗東に、中央競馬のトレーニング・センターが開場したのは1969年のこと。それまでは各競馬場に隣接する厩舎で馬たちは暮らしていたが、手狭になってきたので郊外に新たなトレーニングセンターを設けてそこに馬たち(と人)を集約しようということになった。名神高速道路が通った1963年頃から栗東町が誘致に乗り出し、1964年にトレセン開設が決まったという。

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