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夏の甲子園・都道府県別「勝利数ベスト20」…謎ルール「敗者復活戦」があった和歌山、梅雨が長くても「逆境を友達に」沖縄は何位?
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/08/17 11:00
夏の甲子園「都道府県別勝利数」20~6位を一挙発表!
「雪上ノック」駒大苫小牧の革命
総合18位の北海道は1920(大正9)年の第6回大会から毎年出場しており、1959(昭和34)年からは予選の地域編成組み替えによって南北の2校になったが、勝利は遠かった。特に1980年代は延べ20校が出場したが、4校しか白星を挙げられなかった。
実は、沖縄出身の我喜屋は北海道の“突然変異”にも多大な影響を与えていた。1969年に興南高校を卒業し、静岡県の大昭和製紙富士に入社。3年後に大昭和製紙北海道に転勤し、1974年に都市対抗野球で優勝を果たした。引退後、我喜屋は監督に転身し、休部後もクラブチームを率いるなど北海道で過ごしていた。駒大苫小牧の香田誉士史監督は1998年、知り合いの勧めで我喜屋と出会い、カルチャーショックを受ける。
雪国の北海道は10月頃から半年近く、外で満足な練習ができず、苦戦を強いられていた。しかし、我喜屋は「雪をどければいい」と言った。そこから、新たな発想が生まれた。香田はブルドーザーでグラウンドをならし、路面凍結させた雪の上で練習を行なった。打球が速く、イレギュラーも頻繁に起こる『雪上ノック』が守備力の向上につながった。
駒大苫小牧は2004(平成16)年1失策、2005(平成17)年2失策という堅守で県勢初優勝のみならず、57年ぶりの“夏連覇”を達成した。ただ、北海道は『年代4』のそれ以外の年でほとんど勝てていない。21年間のうち南北海道は決勝進出の4年間を除けば2勝のみ。北北海道はわずか3勝に留まっており、単独で扱えば『年代4』では鳥取と並んで最下位タイ。香田に続く名将は誕生していない。
総合10位から15位の中にも、弱小県を強豪県に変えた指揮官がいる。
【夏の甲子園「都道府県別勝利数」15~10位】
10位タイ 千葉 98勝(25位タイ→5位→14位タイ→9位)
10位タイ 高知 98勝(34位タイ→7位タイ→11位→7位)
12位 福岡 92勝(12位→12位タイ→9位タイ→36位タイ)
13位タイ 静岡 87勝(13位→6位→33位タイ→20位タイ)
13位タイ 奈良 87勝(34位タイ→16位タイ→4位タイ→10位タイ)
15位 山口 78勝(19位タイ→12位タイ→24位タイ→33位タイ)