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「野球留学生が増える=強くなる」は本当か? 夏の甲子園「都道府県別勝利数」で明らかになった新事実! “地元の球児に限らない”参加校は戦前にも
posted2022/08/17 11:02
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
AFLO
“野球留学”の生徒数は県の強さに影響を与えているのか――。本サイトでは、過去103大会の歴史を持つ『夏の甲子園』の都道府県別勝利数ランキングを20位タイから1位まで発表してきた。今回は特に“野球留学”とランキングの関係に着目しながら、総合22位から50位を紹介する。(全3回の#3/#1、#2へ)
※敬称略、名前は当時。プロ入りした選手はカッコ内に最初の所属球団を記載。ただし、阪神のユニフォームを着ないまま移籍した江川卓は巨人とした。時代による強豪県の移り変わりを明らかにするため、1915~47年(旧制中学時代)を『年代1』、1948~77年(新制高校移行)を『年代2』、1978~99年(全47都道府県常時出場)を『年代3』、2000~21年(全47都道府県常時出場2)を『年代4』と分けた。
※敬称略、名前は当時。プロ入りした選手はカッコ内に最初の所属球団を記載。ただし、阪神のユニフォームを着ないまま移籍した江川卓は巨人とした。時代による強豪県の移り変わりを明らかにするため、1915~47年(旧制中学時代)を『年代1』、1948~77年(新制高校移行)を『年代2』、1978~99年(全47都道府県常時出場)を『年代3』、2000~21年(全47都道府県常時出場2)を『年代4』と分けた。
国会でも議論…「野球留学」の歴史
都道府県別勝利数を出すと、1つの問題にぶつかる。地元ではない選手が“野球留学”によって頻繁に県を跨いでいる昨今、ランキングに意味はあるのかという指摘だ。
“野球留学”は三重出身の沢村栄治(巨人)や中尾碩志(巨人)が京都商業に進学するなど戦前から存在していたが、全47都道府県が毎年出場し始めて以降、顕著になった。甲子園の土を踏むために有利な県外の高校に進学する生徒が増加したのだ。1980年には創立3年目の江戸川学園取手が予選のベンチ入りメンバー17人のうち16人を県外出身者で固め、茨城代表となった。しかし、県民には歓迎されなかった。試合中には「東京へ帰れ!」のヤジが飛び、水戸市で県大会優勝のパレードをしても人影はまばらだったという。県民は、県外出身者へのアレルギーを持っていた。
“野球留学”は国会でも取り上げられた。1990年4月には衆議院文教委員会で社会党の沢藤礼次郎議員の質問に対し、保利耕輔文部大臣が「(選手集めで)一部に行き過ぎがあるような印象」と答えた。その1カ月後、日本高校野球連盟が「健全な高校野球を育てるために」と題して、各都道府県の高野連に中学生のスカウティング禁止通達を出した。しかし、効果はなかった。