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夏の甲子園・都道府県別「勝利数ベスト20」…謎ルール「敗者復活戦」があった和歌山、梅雨が長くても「逆境を友達に」沖縄は何位?
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/08/17 11:00
夏の甲子園「都道府県別勝利数」20~6位を一挙発表!
【夏の甲子園「都道府県別勝利数」20~16位】
16位 岐阜 75勝(15位タイ→11位→33位タイ→36位タイ)
17位 宮城 73勝(29位タイ→28位タイ→19位タイ→4位)
18位 北海道 72勝(15位タイ→22位→29位タイ→16位タイ)
19位 沖縄 71勝(出場なし→31位タイ→6位タイ→12位)
20位タイ 群馬 70勝(21位→28位タイ→18位→13位)
20位タイ 埼玉 70勝(出場なし→16位タイ→19位タイ→16位タイ)
目立つ“沖縄の躍進”…いつから強くなった?
目を見張るのは沖縄の躍進だろう。他県と比べ、出場回数の劣る中でのベスト20入りが急成長を示している。戦前から九州予選に参加していたが、一度も勝ち抜けなかった。米国の統治下になった戦後は1952(昭和27)年から東九州大会に加わったものの、壁は厚かった。全47都道府県出場の1958(昭和33)年の第40回記念大会でようやく初出場を果たし、5年後に首里が日大山形を4対3で下して初勝利を挙げた。この試合は西宮球場での開催だった。
“甲子園球場での初白星”はさらに5年後の1968(昭和43)年になる。参加校の強い要望で全試合が聖地・甲子園で行なわれた同年、興南がエースの安次嶺信一、主将で4番・センターの我喜屋優などの活躍でベスト4に進出した。本土復帰後の1970年代からは、栽弘義監督の存在がクローズアップされる。豊見城を3度、沖縄水産を8度の出場に導き、夏通算25勝を挙げた。
その名将も成し得なかった県勢初の全国制覇は、2010(平成22)年に興南が達成。チームを率いたのは1968年ベスト4の立役者である我喜屋だった。
従来の常識では、沖縄は梅雨が長いため、1カ月近く外でまともな練習ができない。それが、優勝に届かない理由の1つに挙げられていた。しかし、『逆境を友達に』をモットーにする我喜屋監督は、雨が降れば選手に長靴を履かせて練習させた。常識を覆したことで、前人未到の域に達した。