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「ヤカンの水をかけて…今なら本当にダメ(笑)」「僕、1回逃げ出したことが」前園真聖と松井大輔が忘れない“鹿実での地獄な青春”
text by
粕川哲男Tetsuo Kasukawa
photograph byMasakazu Yoshiba
posted2022/08/11 11:03
鹿実時代のユニフォームを持つ松井大輔と前園真聖
松井 いや、行きたくないんで。自分でコンクリートブロックか何か蹴って足を腫らして。「こっちとこっちのデカさがもう全然違いますし、本当にダメみたいです」って言ったら「下宿に帰れ」と言われて。でも、やることないんですよ。怪我してるし。だから無断で京都の実家に帰ったんですよ。
前園 勇気あるね。
松井 そうしたら、親父が「なんで帰ってきてんだ!」って怒って。そのまままた飛行機乗って鹿児島に帰りましたよ(笑)。
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前園 あははは……。
格好いいサッカーをできない悔しさはあった
松井 ゾノさんの頃のサッカーは、鹿実伝統の堅守速攻ですか?
前園 それがすごく嫌だったんだよ。コンプレックスで。東のチーム、それこそ帝京とか市船とか清水商とかと試合するとチンチンにやられるわけ。あっちのチームは格好いいサッカーするでしょ。ポゼッションサッカーでテクニックもあって。それが悔しかった。俺たちは走るだけ、スピードだけだったから。鳥かごみたいな感じでボールを回されて、全然取れないんだから……。
松井 そうだったんですね。
前園 俺らの頃は読売ユースとかもすごく強くて、みんなチャラチャラした感じだった。俺たちが走らされている隣で、笑いながらサッカーしているように見えたよ。アイツらのような格好いいサッカーをできない悔しさはあった。だから全国で勝つしかない、結果で見返すしかないと思ってた。
松井 僕らの時代は、意外とサイドを使ったサッカーでしたね。昔の鹿実とは少し違ってサイドは速い選手、真ん中はデカい選手。みんな強くて、能力も高かったと思います。僕は中盤で自由にボールを持って、サイドアタッカーを生かすパスを出す役目だったので、すごく面白いサッカーをやらせてもらっていました。