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甲子園の風BACK NUMBER
「高校野球史上最高」18歳江川卓の怪物エピソード…甲子園で対戦した“九州No.1バッター”の証言「バットに当てる自信はありましたが…」
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/08/13 06:01
巨人で活躍した江川卓。「高校野球史上最高ピッチャー」ともいわれる作新学院時代を振り返る
徳永氏は、法政大学で江川とチームメイトになるが、一塁手として見守った江川は「よく高校の時の方が速かったと言われますが、高校はトーナメント、大学はリーグ戦ですからね。ここぞという場面で投げる球は速かったですよ」そう語ってくれた。
2回戦・銚子商戦。“江川が苦手とする雨”だった
さて、江川からすれば柳川商業戦は、15回完投、7安打、3四球、1失点、23奪三振。バスターでボールに当てる戦略の相手打線に対して23奪三振はさすがだが、15回まで投げさせられたのだから、苦戦したのは間違いない。このように、未知の怪物に圧倒されたセンバツと異なり、多くのチームが“江川対策”をして、夏に臨んできたのだ。
つづく2回戦で当たったのが、前年秋の関東大会で20奪三振と捻られ“打倒・江川”に燃える銚子商業だった。この試合も0対0のまま延長戦にもつれ込み、銚子商業が分析した“江川が苦手とする雨”、それも激しい雨が降る中、12回裏1死満塁から江川が痛恨の押し出しでサヨナラ負けを喫した。
筆者は、この試合もテレビで見ていた。敗戦が決まった瞬間、雨の中、マウンドに立ち尽くす江川の姿を鮮明に記憶している。こうして、江川の夏が終わった。
高校時代のピークは2年時だったのか?
最後に、極めつけの怪物伝説をひとつ挙げたい。
高校時代の江川をずっと見続けてきた作新学院の関係者や、当時の作新と5試合を戦ったライバル・銚子商業の関係者などは、口を揃えて「高校1年秋から2年の秋季大会までの江川が一番速かった」と証言する。
その要因に挙げられるのが、以下の点だ。
・江川の2年夏まで作新の監督を務めた渡辺富夫が、江川に徹底的にランニングをさせて下半身を強化するスパルタ指導を行ったために、もともと強かった地肩に鍛えられた下半身が加わり、非常にバランスがよくなった
・2年生までは、後ろで守るチームメイトが上級生なので、力を抜くことなく全力投球する場面が多かった
つまり、全国の野球ファンを驚嘆させたあの「1973年センバツの江川」は高校時のピークではなかった、と。
「高校野球史上最高の投手」の正体は、いまだに深い霧の中にある。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。