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60歳で優勝、最低クラスから“奇跡のカムバック”…ボートレーサー日高逸子が走り続ける理由「どん底からはい上がるのが私らしい」
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byKoh Tanaka
posted2022/08/12 11:01
60歳での優勝とA1級復帰という偉業を成し遂げた日高逸子。どん底から這い上がった“還暦ボートレーサー”の闘志の源泉とは
「がんだと思ったら不安で…」6時間の手術を乗り越えて
そうは言っても、すべてが順調だったわけではない。出場停止中はコロナ禍もあってボートに乗っての練習はほとんどできず、肉体的な感覚の衰えは否めなかった。それゆえに処分が明けた当初はレース勘が戻らず、なかなか1着が取れずに悪戦苦闘した。さらに追い打ちをかけるかのように、2021年夏、体に異変が襲った。
倦怠感が取れず、病院で検査を受けると、子宮に異常があることが判明。6時間に及ぶ摘出手術を受けた。
「がんだったらと思ったら不安で引退もよぎったが、結果は良性でよかった」
思い返せば、危機は何度もあった。
トレーニングで縄跳びをしすぎたせいか、50歳を過ぎた頃には両膝を痛めた。歩くのもやっとで、立ち上がってターンをする必殺の「モンキーターン」ができなくなっていた。
「このままでは勝てない」
悩みぬいた末、家族に「引退」の決意を打ち明けた。
すると、次女の萌南(もな)が叫んだ。
「やめないで!」
長女の優那(ゆな)と萌南は、日高を母として、アスリートとして尊敬してきた。萌南の言葉は、そんな正直な気持ちの表れだった。
逸子は思いとどまった。
「娘たちも応援してくれる。やれることはやろう」
膝には痛み止めを打ち、再生治療の手術を受けて回復した。ジムとパワーヨガで基礎体力を養い、2014年の賞金女王決定戦では優勝を飾った。
そんな日高について夫の邦博は「前世はサメかマグロ」と冗談めかして言う。とにかくじっとしていられないのだ。
2015年4月の戸田競艇場のレースでは落水し、入院したこともある。全身打撲で肺には大量の水が溜まっていた。しかし、目が覚めると4日後に迫ったレースに「出る」と言って聞かなかった。
子宮を摘出するという大手術の後もそうだった。医師から「しばらくは安静に」とくぎを刺されていたが、筋力低下を最小限にするため、退院して数日後にトレーニングを再開した。勝利のためには「1日1秒たりとも無駄にしたくない」という不屈の精神がそうさせていた。