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「夏休みのある朝、母が消えた」父の暴力と貧乏生活…“ボートレース界のグレートマザー”日高逸子60歳が過ごした壮絶な幼少期
posted2022/08/12 11:02
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph by
Itsuko Hidaka
還暦を過ぎても進化の歩みを止めないボートレース界のグレートマザー、日高逸子。その強さの源は、彼女の壮絶な生い立ちにあった。母の蒸発と父の暴力、そして貧乏生活……。不屈の精神の礎となった、過酷な幼少時代に迫った。(全3回の2回目/#1、#3へ)
雄大な霧島連山と鰐塚(わにつか)山に囲まれた宮崎県都城市。自然豊かなこの地で、日高は中学教師の父・薫(かおる)と保育士の母・清美の長女として、1961年10月7日、産声を上げた。
薫は高校時代に重量挙げで国体に出場したスポーツマンで、よく肩車をしてくれた。清美は端正な顔立ちで料理上手。逸子にとって自慢の両親だった。2つ年上の兄・馨也(けいや)も日高をよくかわいがってくれた。
事故をきっかけに父が豹変、そして母は姿を消した
しかしそんな幸せな生活が4歳の時、突如暗転する。薫がオートバイにはねられ、長期の入院生活で教諭を辞めてしまったのだ。清美は生計を立てるためにささやかな飲食店を始めた。
退院して家に戻った薫は、まるで別人になっていた。後遺症の頭痛に悩まされて酒をあおり、暴れた。6畳一間の自宅と隣り合わせの店からは、毎晩のように夫婦の応酬が聞こえてきた。
「うるさい!」
「やめてっ」
酒瓶を床にたたきつける音、清美の悲鳴……。日高と馨也は耳を両手でふさぎ、小さな体を寄せ合った。手を取り合って、何度も親類の家に逃げ込んだ。清美が子どもたちに覆いかぶさって守ることもしょっちゅうだった。
店は客足が途絶え、家計は火の車。子どもたちの洋服すら買えず、破れると清美が繕っていた。
恐怖におびえながら2年が過ぎ、日高が小学校に入学した年。夏休みのある朝、目覚めると清美がいなかった。
「お母さん、お母さん」
何度叫んでも返事はない。どこを捜しても見当たらない。
母が消えた。日高は兄とともに宮崎県串間市にある父方の祖父母宅に預けられることになった。