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60歳で優勝、最低クラスから“奇跡のカムバック”…ボートレーサー日高逸子が走り続ける理由「どん底からはい上がるのが私らしい」
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byKoh Tanaka
posted2022/08/12 11:01
60歳での優勝とA1級復帰という偉業を成し遂げた日高逸子。どん底から這い上がった“還暦ボートレーサー”の闘志の源泉とは
レース出場機会が最も少ないB2級への陥落は、選手の間で「地獄の始まり」と言われている。出場停止期間中は無収入の上、A1級に復帰するのは至難の業とされ、ベテランの場合は引退する選手も少なくない。それでも、日高は現役続行を決意した。
「年齢とともに力が落ちるのは仕方ないことかもしれない。でも私の場合は、力が衰えてB2級に降格したわけじゃない。それにフライングを切ってやめるのもしゃくだし、大けがをして引退する選手に比べたら大したことはない。B2級はA1級と比べるとレースは激減するけれど、そこからどこまではい上がれるか、自分でも楽しみにしているんです」
出場停止中に実感した「家族の温もり」
崖っぷちから駆け上がる道のりは、決して平たんではなかった。
出場停止期間中は、眠っていても安らぐことはなかった。前検日(レース前日の検査日)の集合時間に遅れる夢を見たり、レースの夢を見たりして、何度も飛び起きてしまうことがあった。不安を払拭するために、日高は思考を切り替えることにした。
「A1級時代は、月の3分の2は家を空けてレースに挑む生活を繰り返していたのが、打って変わって150日間という休みが入った。産休以来こんなに長い休みは初めてで、どうしようかなと頭をひねっていたけど、何もしないともったいないと開き直ったんです(笑)。気分転換の意味も込めて、ボート以外のことに時間を費やしてみようと」
これまでは、レース開催日と重なって断っていた講演活動を開始した。小学校の講演では、子どもたちの生き生きした純粋な瞳に触れて、勇気をもらった。夫と知人に誘われて、ゴルフも始めた。スイングの時と、ボートレースのスタートの時の集中力は相通じるものがあった。新たな発見をした感覚に体が喜び、不思議とリラックスしてプレーをすることができた。
家族団らんの生活も送った。初めて正月を家族4人で過ごせて、改めて夫と2人の子どもの温もりを感じた。
「休みの期間中は、自分を見つめ直すいい機会になりました。精神的には、プラスに働いたと思う」