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劇団四季・浅利慶太から「水泳をやめたら駄目だ」藤本隆宏の無名下積み時代を支えたオリンピック思考「4年というスパンで考えられた」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/07/26 17:01
NHKドラマ『坂の上の雲』広瀬武夫役などで知られる俳優の藤本隆宏。俳優となる前は水泳のオリンピアンでもあった藤本に話を聞くと…
金メダルという夢が潰えた瞬間
劇団四季のレッスンを受けつつ、オリンピックを目指す日々が始まった。
「水泳をあきらめてはいなかったけれど、セカンドキャリアを考え始めていたような気がします」
当時、「競泳のピークは二十歳まで」と言われていた時代にあって、すでにそれを超えベテランの域に入っていたことがその選択の背景にあった。
1996年の春を迎え、アトランタ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権に臨んだ。結果は200m個人メドレー3位、400m個人メドレーでは表彰台に上がることができず、アトランタの代表切符をつかむことはかなわなかった。
「自分の悲しみとか辛さより応援してくれた皆さん、コーチ、マネージャー、両親に申し訳ないという気持ちだけでしたね」
競技生活から退くことをその日に決意した。翌日、劇団四季に「お願いします」と連絡。金メダルという夢が潰えた瞬間でもあった。
初セリフは「お言いつけの通りにいたしましょう」
だが、足を踏み入れた演劇の世界も順風満帆というわけにはいかなかった。
「やりかたがまず分からなかった。水泳は努力が記録として表れるけれど、ミュージカルの世界はやることがたくさんありますし、どれが正解なのか分からない。ピアノの前で音の通りに歌っているつもりだけど正解なのか、音と合っているのか。台詞にしてもどれが正解なのか。それがきつかったですね。ただ、水泳と同じで人よりも多く練習する、努力するしかなかった。最後までレッスンをこなし、人よりも多く練習したりすれば必ず道は見えるんじゃないかと思っていました」
最初に出演した作品は1997年の『ヴェニスの商人』。
「台詞は1つ、『お言いつけの通りにいたしましょう』です」
1998年に劇団四季を退団、有馬稲子らが籍を置く事務所に入り、その翌年には蜷川幸雄演出の作品『リチャード三世』と『パンドラの鐘』に出演する機会に恵まれた。