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劇団四季・浅利慶太から「水泳をやめたら駄目だ」藤本隆宏の無名下積み時代を支えたオリンピック思考「4年というスパンで考えられた」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2022/07/26 17:01

劇団四季・浅利慶太から「水泳をやめたら駄目だ」藤本隆宏の無名下積み時代を支えたオリンピック思考「4年というスパンで考えられた」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

NHKドラマ『坂の上の雲』広瀬武夫役などで知られる俳優の藤本隆宏。俳優となる前は水泳のオリンピアンでもあった藤本に話を聞くと…

 帰国後、帝国劇場でもミュージカルを観劇し、その思いは強まった。

 1995年、新聞に目を通していると、ある案内が目に留まった。それは劇団四季のオーディションの告知だった。見た瞬間、「受けよう」と思った。

「学校を受ける感覚でもありました」

 当時演劇界に明るくなく相談する人も限られたこともあり、一般にも広く知られた有名な劇団である「劇団四季」を最初の受験先に選んだ。

「MTV世代だったので音楽は好きでした。カラオケで歌えば『うまいね』と言われはしました」

 そう語る藤本だが、音楽も踊りも演技も、むろん本格的な経験はなかった。しかも10月に予定されたオーディションまで1~2カ月ほどしかないという状況にあった。

 藤本は当時住んでいた所沢市内の近所にある音楽教室とバレエ教室を探し、趣旨を説明して指導を仰いだ。

「(音楽教室の先生は)びっくりしていた気がしますね。バレエ教室では、まわりは小学生の女の子ばかりでしたが、何も気にならなかったですね。そういうところは、私は変わっているんだと思います」

オーディションで「自分は天才です」

 いざオーディションに臨むと、受けに来ているのは10代後半の志望者ばかり。25歳の藤本は、いわば「浮いた」存在だった。それでも「絶対に受からなければいけない」と決意を固めていた藤本は、面接で「この世界でやれる自信はあるのか」と尋ねられ、とっさに答えた。

「自分は天才です」

 さらに問いかけられ、こう説明したという。

「努力することは絶対負けないです、努力する天才です、と。それが決め手になったのかな」

 藤本は合格を果たし、劇団四季の演出家であり代表者であった浅利慶太と話をした。

「『水泳はどうするのか』と聞かれました。そのときは『やめてもいいです』と答えた記憶がありますが、浅利さんは、『それは駄目だ、うちはいつまでも待つし、バレエやジャズのレッスンは並行して行っていい』とおっしゃっていただきました」

【次ページ】 金メダルという夢が潰えた瞬間

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