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早実・斎藤佑樹に「勝てるかもしれない」2006年夏・西東京2回戦で起きた都立高校の“番狂わせ”未遂「斎藤ひとりに負けたような気がします」
posted2022/07/21 06:00
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Naoya Sanuki
10年前の夏、空色のハンカチは涼やかなエースの象徴だった。
2006年8月21日、早稲田実業の斎藤佑樹は決勝再試合の末に駒大苫小牧を下し、甲子園の頂点に立った。最後の打者となった田中将大は泣いていない。敗者でさえ悔いよりも充足感の勝る、稀有な激闘だった。
早実が重ねた12連勝の緒戦のスコアは3-2。西東京大会2回戦、8回終了まで同点と互角に渡り合ったのは都立昭和だ。
のちの伝説などもちろん知る由もない。ただ勝機はたしかにあった。だから「都」の冠とともに戦った男たちの心には、振り返るたび天を仰ぐ悔しさがこみあげる。
「早実のことは頭にありませんでした」
2016年現在、都立高校の数は186。野球経験者は各校に分散し、指導者は数年単位で異動する。甲子園行きの可能性を秤にかけて有力選手が集中する強豪私立との実力差を埋めるのは、今も昔も容易ではない。
昭和が脚光を浴びたのは04年夏のことだ。2回戦からの5連勝で準決勝に進出。日大三に1-3と惜敗したが、都立勢のベスト4はじつに9年ぶりの快挙だった。翌05年夏は4回戦で日大鶴ヶ丘を撃破。しかし次戦でまたも日大三の壁にぶつかり、1-10と大敗を喫した。
都立の実力校として評価を高めつつあった昭和にとって、しばらく対戦のなかった早実は特別視すべき相手ではなかった。その意識は早実が05年秋の都大会を制覇し、翌春センバツでベスト8入りしようとも、変わることはなかった。
新チームで主将についた古嶋将幸は現在、武蔵村山市立第十小学校の教壇に立つ。すっかり日の落ちた放課後、担任を受け持つ5年3組の教室で当時の記憶を手繰った。
「三高(日大三)の選手なら1番から順に言えましたけどね……。早実のことは頭にありませんでした」
2回戦で早実と対戦「いいヤマに入ったな」
06年6月半ばに行われた組み合わせ抽選の結果、昭和は1回戦で都立小平西との対戦が決定する。勝てば、2回戦で待ち受けるのは早実だ。この段になってはじめて、「WASEDA」は現実的な敵となった。
2年秋からエースナンバーを背負った副将の村木公治は、「いいヤマに入ったな」と感じていた。JR東日本に勤続6年目、車掌業務を終えて駆けつけた喫茶店のソファに細身の体を落ち着けて、語り始める。
「強い学校は試合ごとに調子を上げていく。どうせ当たるなら早い方がいい。勝てるとしたら初戦、という思いはありました」
さっそく早実対策に乗り出した。センバツの映像を材料にして、監督の田北和暁を中心に事細かに傾向を分析していく。