Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
早実・斎藤佑樹に「勝てるかもしれない」2006年夏・西東京2回戦で起きた都立高校の“番狂わせ”未遂「斎藤ひとりに負けたような気がします」
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byNaoya Sanuki
posted2022/07/21 06:00
2006年夏の甲子園を制した早実・斎藤佑樹。その伝説が始まる前、西東京大会2回戦で都立高校を相手に苦戦を強いられていた
田北はまず各打者のヒットゾーンを逐一チェックし、9分割の「コースチャート」にまとめた。村木はその資料を手にしながら映像と向き合った。
「前年の三高(甲子園ベスト8)を見ていたせいもあって、早実はそこまで打つチームには見えなかった。試合はロースコアになるだろうと思っていました」
斎藤に対する映像分析からは、その球威に負けないことが最大のテーマと結論づけられた。ピッチングマシンを通常より前に置いて目を慣らし、配球の傾向も頭に入れた。「いい投手だが、勝ち目はある」。センバツの斎藤をどれだけ研究しても、その思いが揺らぐことはなかった。
1回戦の小平西戦は村木を温存しながら7-0のコールド勝ち。4日後の早実戦へ弾みをつけ、昭和のシナリオどおりにことは運んでいた。
打席で実感した「負けん気の強さ」
7月16日、上柚木公園野球場。さほど暑さを感じない曇り空の日曜日、3000人収容のスタンドには両校応援団を中心に満員に近い観客が詰めかけていた。
9時55分、球審がプレイボールを告げる。
先攻は早実。先発した右腕、村木は事前の分析を拠りどころに、各打者の苦手なコースへと丁寧に投げ分けた。最速138キロと決して速球派ではないが、コントロールには自信があった。投げ込むコースごとに野手の守備位置を動かす策もはまった。
一方の打線は、斎藤を打ちあぐねていた。4番に座っていた古嶋は「計算外だった」と振り返る。
「この試合、斎藤は荒れているというか、すごくコントロールが悪かったんです。高めの真っ直ぐに手を出して空振りしてしまったり。クレバーなピッチャーという印象があると思いますけど、少なくともこの試合に関しては、剛腕投手という感じでした」
7番の村木も、生の斎藤に圧倒された。
「今まで(対戦した投手)で一番と言ってもいいくらい。特にタテのスライダーですね。キレがあって、フォークのようだった。それから、闘争心むき出しというか。相当負けん気が強いんだなって、ひしひしと伝わってきました」
痛み出したエース村木のヒジ
前半、両軍のスコアボードにゼロが並んだ試合は、5回に動く。早実が1点を先制すると、その裏、昭和が三塁打などで2点を奪い返して逆転に成功。
「勝てるかもしれない」
村木はその思いを強くした。
しかし7回、タイムリーを浴びて同点に追いつかれる。村木は自身の気持ちを落ち着かせるように、右の拳で胸をたたいた。
「7回あたりから、ヒジの痛みが強くなってきて……。試合前にちょっと違和感はあったんですけど、投げてるうちにどんどんダメになってきちゃって」
村木はもともと捕手だった。投手に転向したのは高校入学後だ。投手歴2年、ヒジを故障した経験はなかった。
8回に入ると、痛みはさらに増した。
「投げるたびに内側の部分にピキッとくる感じで、腕が振れない。球が走っていないのは見ている人も分かっていたと思います」