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早実・斎藤佑樹に「勝てるかもしれない」2006年夏・西東京2回戦で起きた都立高校の“番狂わせ”未遂「斎藤ひとりに負けたような気がします」
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byNaoya Sanuki
posted2022/07/21 06:00
2006年夏の甲子園を制した早実・斎藤佑樹。その伝説が始まる前、西東京大会2回戦で都立高校を相手に苦戦を強いられていた
この回、ちょっとした事件が起こる。昭和が4-6-3の併殺を狙った場面で、早実の一塁走者が遊撃手の送球を妨げたとして守備妨害をとられたのだ。昭和側のアピールによって認められたジャッジだった。
古嶋が独特の言い回しで表現する。
「結構荒れた試合だったんですよ。相手もスマートな感じじゃなかった。甲子園行ってハンカチが出てきたりしましたけど、もっと熱い、ファイティングなチームでした」
都立昭和の仕掛け、本塁へ突入
流れは昭和に傾いていた。8回表を無失点で切り抜けると、その裏、2アウト三塁と勝ち越しのチャンスが巡ってきた。
ここで早実バッテリーは敬遠を選択。一、三塁として、斎藤から2三振を喫していた村木を打席に迎えた。
ここぞとばかりに、昭和が仕掛ける。
まず一塁走者が故意に飛び出し捕手のセカンドスローを誘う囮になり、その間に三塁走者が本塁へ突入――。ひそかに練習を重ねてきたプレーだった。村木が振り返る。
「キャッチャーの白川(英聖)は投げるそぶりもしない。まったく動じませんでした」
走者はすごすごと一塁に戻ってしまった。そして村木は斎藤のスライダーに空振り三振。貴重なチャンスはあっさりと潰えた。
9回表、村木のボールは「山なりになっていた」。だが早実に同点のまま最終盤。マウンドを譲るつもりもさらさらなかった。
先頭打者の斎藤は、意表を突くセーフティーバントで出塁する。その後2アウト二塁となって、限界の近い村木に3アウトチェンジの光明が見えた頃、今度は塁上の斎藤が仕掛けた。
二塁走者・斎藤はなぜスタートを切った?
打席にはこの日2安打、9番の内藤浩嵩がいた。出塁を許せば、試合前から警戒していた1番の川西啓介に回る。「とにかく内藤を」。村木の頭にはそれしかなかった。
もはや何を投げたか記憶もないが、どうにか2つストライクを奪った。村木のすべての注意が打者に向けられていた。斎藤がスタートを切ったのは、その時だった。
センターの守備位置にいた古嶋は、「やられた!」と胸の中で叫んでいた。
「ビデオで見ている時から、走者としての斎藤がすごく気になっていました。意外なところで走ってくるんですよ、あの人は。僕はずっとセンターだったので、セカンドランナーは一番よく見えるんです。嫌な予感がしていました。外野からでもタイムをかければよかったと、今でも思います」
だが斎藤の意図は判然としない。2アウト二塁の場面で三盗を試みることは、チャンスをつぶすリスクの方が大きい。同点の9回、斎藤はなぜ走ったのか。村木と古嶋にとってそれは、いまだに謎のままだ。
想像だにしないスタートを視界にとらえながら村木が投げたボールに、内藤はバットを出した。ボテボテのピッチャーゴロ。両手で大事に捕りにいった村木のグラブに、しかしボールは収まらなかった。
「普通に正面に入ったはずなんですけど、なんで弾いてしまったのか、ちょっとそこの記憶が……。たしかセカンドがカバーしてすぐ投げたんですけど、間に合わず」
斎藤が猛然とホームに滑り込むのが見えた。送球は捕手のミットからこぼれていた。こらえ続けていた何かが堰を切って流れ出しそうだった。
「必死で切り替えて……とにかく、ここで抑えなきゃって……」
村木は9回を投げ切った。早実相手に3失点は十分な出来とも言えた。だが、ミスで許した最後の1点はあまりに重かった。