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中学3年生の那須川天心に抱いた確信「当時から、明らかに“モノ”が違っていた」 カメラマンが惚れ込んだ“天賦の才”と知られざる素顔 

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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photograph bySusumu Nagao

posted2022/06/17 17:02

中学3年生の那須川天心に抱いた確信「当時から、明らかに“モノ”が違っていた」 カメラマンが惚れ込んだ“天賦の才”と知られざる素顔<Number Web> photograph by Susumu Nagao

2014年2月11日、中学3年生の那須川天心がプロデビュー前に実施したエキシビションマッチ。“神童”の才能はすでに萌芽していた

中1日でのMMA連戦「片腕はくれてやるつもりです」

 2016年の年末、天心に大きな転機が訪れる。日本最大の格闘技団体であるRIZINから、試合のオファーが舞い込んだのだ。この年の興行は12月29日と31日の2日間で、注目度の高い試合は大晦日にラインナップされていた。彼の出番は29日だった。

 当時のRIZINはMMA(総合格闘技)の試合だけで、現在のようにキックがマッチメイクされることはなかった。天心にとっては未経験のルールであり、この試合の3週間前にムエタイの試合を終えたばかりの彼には、MMAの練習をする十分な時間はなかったはずだ。

 天心は29日の第8試合に登場。開始1分過ぎに寝技の展開になり、アームバーで右腕が完全に伸ばされたが、身体を反転させて脱出する。最後はパウンドで相手をKO。試合後のマイクでは、中1日で大晦日への連続出場をアピールして、それが認められることになった。

 大晦日の試合前、セコンドにつく父親の弘幸さんと話をした。29日に負った右腕のダメージは大きく、痛めた右肘はテーピングで固めて、利き腕の左手だけで勝負すると。「いざとなったら、片腕はくれてやるつもりです」という弘幸さんの言葉は、今でも忘れられない。

 そしてこの試合、天心は片手が使えないまま、なんと締め技(ニンジャチョーク)で一本勝ちした。

 天心はRISEではキックボクシング、RIZINではMMAの試合を継続的に行い、その存在感をますます高めていった。天心は、キックボクシングという競技をメジャーにすることを目指していた。彼は体を張ってその難題に挑み続けた。

 2017年の大晦日には、RIZINで初めてキックの試合が行われた。それはもちろん天心の要望によるものだろう。今でこそ、同団体ではキックボクシングの試合が当たり前のように行われているが、その扉をこじ開けたのは那須川天心の功績である。自分はキックボクサーとして、キックボクシングで勝負したい。そのためにはRIZINで実績をつくる必要があり、“本業”ではないMMAの試合もいとわなかった。

 2018年にはキックルールでRIZIN王者の堀口恭司と闘い、さらにエキシビションながらもボクシングルールでフロイド・メイウェザー・ジュニアとも闘うことになる。

 こうして彼の活躍は、世間の目に届くようになった。

【次ページ】 「すでに勝負師の顔に…」いざ武尊戦へ

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