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野村克也が絶賛した「完ぺきに近い投手」ダルビッシュ…敵なし状態の11年前、なぜ沢村賞を逃した? 立ちはだかった“もう一人の天才”とは 

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太田俊明

太田俊明Toshiaki Ota

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posted2022/06/17 11:01

野村克也が絶賛した「完ぺきに近い投手」ダルビッシュ…敵なし状態の11年前、なぜ沢村賞を逃した? 立ちはだかった“もう一人の天才”とは<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

「プロ野球史上No.1投手を探る旅」。金田正一、田中将大に続く第3回は、あの野村克也氏が「平成最高の投手」と評したダルビッシュ有だ

二人の若き天才が激突した2011年

 この年、沢村賞を受賞した人物こそ、楽天の田中将大である。その成績は以下の通りだ。

●田中将大の成績
【11年】登板27 完投14 完封6 勝利19 敗戦5 勝率.792 投球回226.1 被安打171 与四球27 奪三振241  防御率1.27 WHIP0.87

 二人の若き天才が激突した2011年、ダルビッシュは、登板数、投球回、奪三振、WHIPで上回り、田中は完投数、勝利数、勝率、防御率で上回っている。

 ほぼ互角にも見えるが、沢村賞の選考基準7項目で見てみると、ダルビッシュが3項目、田中が4項目を制した。その点、どちらか一人を選ぶ必要がある沢村賞で、田中が選ばれたのは妥当と言えるだろうし、ダルビッシュにややツキがなかったと言えるかもしれない。

 さて、同企画の“チャンピオンベルト”を現在保持している1958年の金田正一との比較である。

・現状、ダルビッシュのベストシーズンである2011年の数字が僅差ではあるが田中に敗れた
・すでに田中が金田に判定負け(第2回)している

 以上の点から、金田の防衛成功とする。

 ダルビッシュは、防御率1点台を続けた2007年から11年にかけて、毎年沢村賞を狙えるような素晴らしい成績をあげ続けたにもかかわらず、実際に受賞できたのは07年のみ。2011年の田中のように突出した成績をあげた投手が他にいて、沢村賞争いで敗れた。

 対して田中は、楽天の7年で11勝、9勝、15勝、11勝、19勝、10勝、24勝と、一年置きに好不調を繰り返しながら、2011年と13年に突出した成績をあげて、その年に沢村賞を受賞している。

「理想の投手を形にするとダルビッシュになる」

 ちなみにダルビッシュは、2年後輩の田中に「勝とうと思えばいくらでも勝てるが、チームのために徹底的に内角攻めをして相手打線を狂わせるような投球をすることもある。お前もエースならそんな投球をしろ」と語ったという(出典:『絶対エース育成論 なぜ田中将大は24連勝できたのか?』佐藤義則著/竹書房)。

 また、「自分は野球がそれほど好きではない。自分が好きなのは変化球を研究することと、変化球を操って打者を翻弄すること」とも。

 ダルビッシュは、目先の勝利に汲々とするような投手ではないのだろう。160キロに迫るストレートを見せ球にして、変化球を駆使して打者を翻弄する。そんな遊びの要素を盛り込んだ投球を繰り返しながら、メジャーでも最多奪三振と最多勝のタイトルを獲得。13年と20年の2度、サイ・ヤング賞の投票で2位となり、年俸2500万ドル(現在の1ドル134円で換算すると34億円)という日本人プロ野球選手としては史上最高年俸を手にするまでに上りつめた。

 美しくダイナミックな投球フォームで、アメリカでも「理想の投手を形にするとダルビッシュになる」とまで評価される天才投手――今後のさらなる活躍に期待したい。

 次回は、野村氏が「史上最高の技巧派投手」と評した、稲尾和久の日本記録となる42勝を挙げたシーズンを検証してみよう。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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