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《追悼》ターザン後藤58歳で逝く「童顔の健康優良児」を変貌させた長髪&ヒゲ、そして電流撃破デスマッチ…盟友・大仁田厚と決裂の真相は? 

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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photograph byYukio Hiraku/AFLO

posted2022/06/01 17:00

《追悼》ターザン後藤58歳で逝く「童顔の健康優良児」を変貌させた長髪&ヒゲ、そして電流撃破デスマッチ…盟友・大仁田厚と決裂の真相は?<Number Web> photograph by Yukio Hiraku/AFLO

ノーロープ有刺鉄線デスマッチに臨むターザン後藤(1993年)

 FMW以降は「鬼武将」「鬼神」といったキャラクターで、陽のキャラクターである大仁田厚の参謀、時に敵となったりして旗揚げ直後の同団体を支えた。90年8月4日に東京・レールシティ汐留(汐留駅跡地)で行われた大仁田とのノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチは、プロレス界に大きな衝撃を与え、その年のプロレス大賞ベストバウトを受賞している。

 4年後の94年3月2日にはWAR両国国技館大会で、大仁田とのタッグで天龍源一郎&阿修羅原(龍原砲)を見事に撃破(大仁田が天龍をフォール)。2カ月前にアントニオ猪木との一騎打ちを制し「馬場、猪木に勝った男」の称号を手にした天龍から、大仁田がフォールを奪ったことで、日本プロレス界に確固として存在したメジャーとインディーの序列がガラガラと音を立てて崩れた瞬間だった。この試合も同年のプロレス大賞ベストバウトを受賞している。

決裂の真相「墓場まで持っていく」

 平成初期、大仁田の快進撃を支えていたのは副将たる後藤の存在も大きかった。素顔の後藤はシャイで報道陣にも礼儀正しい口調を貫いていた。大仁田のように大見得を切って、圧倒的な目力と大声とともに周囲や観客を引っ張り込んでしまうタイプではない。照れ隠しなのか? 棒読み気味の口調は内容こそ怒っていても、怒っているのか笑っているのかが読み取れないという不思議な魅力を放っていた。その魅力はFMW時代よりも、のちのIWAジャパン参戦時代などに、浅野起州社長を相手に数々の狼藉を働いていた時代にこそ発揮されていた気もするが……。

 コワモテな風貌とは裏腹に、圧&アクの強い先輩などに取り囲まれると、途端に萎縮してしまい、いじられる側に回ってしまうタイプなのだろう。若手時代などは、そんな表情の写真が多く見受けられる。ミスター・ポーゴにしてもそうなのだが、大仁田はこういったタイプを発見してはライバルや味方にしてしまう嗅覚が鋭い。これも才能だ。

 そんな後藤にとって突然、周囲が後輩ばかりとなり、指導者として睨みをきかせなければならない立場となったFMWでの居心地がどうだったのかは今もよく分からない。大仁田の引退(95年5月5日、川崎球場)直前に二人は袂を分かつことになるのだが、その真相について後藤は「墓場まで持っていく」と宣言していた。そして本当にそれを守ってしまった。

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