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《追悼》ターザン後藤58歳で逝く「童顔の健康優良児」を変貌させた長髪&ヒゲ、そして電流撃破デスマッチ…盟友・大仁田厚と決裂の真相は?

posted2022/06/01 17:00

 
《追悼》ターザン後藤58歳で逝く「童顔の健康優良児」を変貌させた長髪&ヒゲ、そして電流撃破デスマッチ…盟友・大仁田厚と決裂の真相は?<Number Web> photograph by Yukio Hiraku/AFLO

ノーロープ有刺鉄線デスマッチに臨むターザン後藤(1993年)

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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Yukio Hiraku/AFLO

 1990年代のインディペンデント団体で活躍したターザン後藤さん(以下、敬称略)の訃報が入ってきた。享年58。報道によると肝臓がんを患っていたそうだ。

 プロレス界のメインストリームから姿を消して久しかったが、5年前(2017年)に突如として日曜昼の人気番組『新婚さんいらっしゃい!』に再婚された奥さまとともに出演し、東京・押上にて中華料理店を切り盛りしているとの近況を明かしつつファンを驚かせていた。そんな矢先の訃報だった。

 身長(178cm)こそ高くはないものの、あのガタイと長髪とコワモテにヒゲ面。どこから見ても「異形の人」であり、見慣れたリングコスチューム姿よりも、むしろ私服姿のほうが「プロレスラーの怖さと怪しさ」を体現していた。90年代中盤の地方巡業中、試合後に居酒屋で一杯飲んでいたら、当時世間を騒がせていたオウム真理教の麻原彰晃とカン違いした他のお客さんから通報され、警察に踏み込まれたなんて事件もあった。

九重部屋を経て、全日本プロレスに入門

 昭和38(1963)年、静岡県の島田市生まれ。中学卒業後に大相撲の九重部屋に入門。この学年は横綱2人(双羽黒=北尾、北勝海)を輩出した「花のサンパチ組」としても知られるが、九重部屋に限定しても、のちの日本相撲協会・八角理事長(北勝海)と、同じくプロレス転向する小結・孝乃富士(安田忠夫)らがいた。

 もともと大相撲には興味がなかった模様で、すぐに廃業してジャイアント馬場率いる全日本プロレスに入門している。

 ヒゲも長髪もない若手時代は「童顔の健康優良児」といった可愛らしい風貌。そんな時代に落語家の桂文珍とともにマルサン豆乳のCMに出演しているのだが、後のコワモテぶりとはあまりに違う。あの長髪とヒゲは後藤を「ターザン後藤」へと変身させる必須アイテムだったのだ。

【次ページ】 大仁田厚との電流撃破デスマッチ

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