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「1日3食が当たり前」に“大食い魔女”菅原初代58歳が考える違和感…“来年還暦”でも現役を続ける理由「大食いは、お金が目的ではない」
text by
音部美穂Miho Otobe
photograph byWataru Sato
posted2022/06/03 11:02
現在は盛岡でパン店を営む菅原初代さん。幼い頃から感じていた食事に関する疑問や、現在の生活などについて聞いた
発達障害の傾向があると診断「ああ、やっぱりね」
菅原が抱えた生きづらさには、利き手の矯正以外の理由もあったのだろう。2017年に『爆報!THEフライデー』の企画で病院で診てもらったところ、発達障害の傾向があると診断された。
「私が子供の時には発達障害という概念自体がなかった。でも、何年か前から『大人の発達障害』という言葉を見聞きするようになって、自分自身でも調べていたんですよ。だから、病院で診断を受けた時は、『ああ、やっぱりね』という感じでした。大人になってからは困ったことに対して自分なりのやり方を見つけて対処することができているので、医師からも治療は必要ないと言われたし、実際治療はしていません。
ただ、今思い返してみても……子供の頃はしんどいことばかりでしたね」
運動が苦手でボールを投げられない、手先が不器用で工作ができない、忘れ物が多い――。
周囲の子が当たり前のようにやっていることができない。その事実は、年を追うごとに大きなコンプレックスになっていったという。
「本当は、『みんなにはできないけど私にはできること』もあったと思うんですよ。でも、家でも学校でもできることに目を向けてくれる人はいなかった。できない部分だけをクローズアップされるから、周囲の子が優秀で自分が劣っている存在だと感じてしまう。小学校時代はどの担任の先生とも打ち解けられなかったし、ずっと自分に自信が持てませんでした。
朝食を食べられないことについてもそうだけど、心の中では『どうしてみんな分かってくれないんだろう』という思いもあったんです。でも、自分のことを誰も理解してくれなくてもそれが普通なんだろうなって。いつしか、そうやって自分を納得させるようになっていました」
発達障害の息子は「ロケにも連れて行っていた」
菅原が診断を受けるよりも前、彼女の一人息子は幼くして発達障害と診断されている。
「自分がつらい思いをしたからこそ、息子には劣等感を持たせたくない。できる限りのことをして寄り添ってあげたいという気持ちが強かった。息子は支援学級でのびのびと過ごすことができたから、その点は良かったと思っています。
一方で、私の頃とは違って発達障害への理解が広がり、様々な選択肢がある時代に生まれた息子が羨ましいと思う気持ちもありました」
2008年に離婚した元夫は、なかなか息子の障害を受け入れられなかったという。
「私が『病院で診てもらった方がいいと思う』といっても『そんなことを言い出すなんて、お前のほうがおかしい』っていう具合で。その後、様々なことがあって別居し安いアパートに息子とふたりで住んでいたんですが、息子はとにかく落ち着きがないので下の部屋にも横の部屋にも音が響いてしまう。その都度、謝りに行っていました。
元夫とは、離婚をめぐってモメて、家庭裁判にまでなったので、私の留守中に息子を連れ去られるかもしれないという恐怖があり、テレビのロケにも連れて行っていたんです。でもやっぱりじっとしていられないから迷惑がかかる。スタッフさんにも事情を説明してありましたが、言っておいたほうが私の中で納得感があるというだけであって、相手にとっての迷惑の度合いは変わらなかったでしょうね。その息子は、今19歳。フードファイターほどではない、単なる大食らいに成長しました(笑)」