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「大食いはスポーツに近い?」「やっぱり男性有利?」“大食い女王”魔女菅原(58)に聞いてみた「女性選手への偏見をギャル曽根さんが変えた」
posted2022/06/03 11:01
text by
音部美穂Miho Otobe
photograph by
本人提供
菅原にとって、大食いキャリアの出発点となったのが、2006年、地元・盛岡で開催された『第21回 全日本わんこそば選手権』での準優勝だ(女性としては1位)。この時すでに42歳。フードファイターとしてはかなり遅いスタートとなる。
短大を卒業後、図書館司書やメガネ店の販売員、事務員などの仕事を転々とし、結婚。長男を出産し、主婦として生活していた。
「食べる量は子供の頃から多かったと思います。
私は覚えていないんですが、1歳の頃に、小学校1年生のいとこのお弁当をたいらげたらしくて。あと、2歳から保育園に通っていたんですが、初めて登園した日、『給食おかわりできないんだって』とショックを受けていたらしいんです。家では普通におかわりしていたので、それができないのが不満だった、と。
でも、まさか自分がフードファイターになるなんて思ってもみなかったし、大食いの番組だって特に見ていたわけでもなかったんですよ」
菅原の敗退で、あのギャル曽根も涙
わんこそば選手権での準優勝を機に、2007年に『元祖!大食い王決定戦』に初参戦。予選を突破して本選に出場し、その爆食ぶりを見せつけたが、2回戦で敗退している。
この大会で優勝し、女王戦2連覇を達成したのが、当時フードファイターとして人気を誇っていたギャル曽根だ。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったギャル曽根は、菅原の敗退を目にして「私のライバルになるのは、菅原さんだと思っていた」と涙を流した。
「あの時の曽根さんは、やっぱり強かった。みんな翻弄されている感じがしましたね。
1回戦は30分間、生のきゅうりを食べ続けるというものだったんですが、会場が青果市場の倉庫だったので、すごく寒くて。身体が冷え切ってしまいました。
2回戦はおしるこ。そのおしるこがやけどするぐらい熱くて。当然、みんなかき混ぜたりして冷まして食べるんですが、なぜか私、さまさずに熱いまま食べちゃったんです。今考えても、なぜそんなことをしたのか分からない。初出場だったから、ナメられまいって思ったんですかね(笑)。それで、だんだん気持ち悪くなってきちゃって。ドクターストップがかかってしまった。もう限界でした」