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ぶら野球BACK NUMBER
「彼女いない歴〇年」“残念”な流行語が生まれた日…恋人なし男女のお見合いパーティーで視聴率21%、とんねるずの早すぎたリアリティショー
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/10/13 11:00
帝京高校の野球部だった石橋貴明(左)とサッカー部出身の木梨憲武。とんねるずの結成は1980年だった
97年にはフジテレビ日曜夜のスポーツニュース『Grade-A』でとんねるずが司会を務め、ダイエーのルーキー井口資仁が放ったプロ初アーチとなる満塁弾についてスタジオに来た豪華助っ人選手たちと語り合ったり、当時日本ハムの落合博満をゲストに呼び野球談義に花を咲かせた。そして彼らの功績は、野球やサッカーだけにはとどまらない。当時は日陰のスポーツだった卓球にも光を当てたのだ。『みなさんのおかげです』の「博士と助手」から始まったアルフィーとの卓球ダブルス対決は、ついには日本武道館に1万5000人の観衆を集める異様な盛り上がりを見せた。アルフィーの桜井賢に「(木梨)ノリちゃんは目が真剣で怖かった」と言わしめるガチンコぶりで、雑誌『明星』ではこの様子を「胸をはれ! 全国の卓球部員たちよ」と大々的に報じ、感謝した日本卓球協会はとんねるずに名誉二段を送った。今ではすっかり人気競技となりビッグマッチはゴールデンタイムで放送されるようになった卓球だが、平成初期のふたりの貢献も忘れないでおきたい歴史の一部である。
恋人がいない男女の“早すぎたリアリティショー”
あの頃の多くの若者は、とんねるずというフィルターを通して、あらゆるものに触れて、その隙間からスポーツや社会を知った。確かに、大人たちがただ内輪で騒いでいるだけと揶揄したように、若手時代のとんねるずの芸風は“部室のノリ”が強かったのかもしれない。だが、その本気でバカをやる終わらない部活感がなにより重要だった。恋人のいない男女が集い、意中の女性を見つけた兄ちゃんが真剣なまなざしで想いを告白する“早すぎたリアリティショー”『ねるとん紅鯨団』が高視聴率を叩き出していた頃、石橋はその人気の理由について、こう自身で分析している。
「高校野球と一緒なのかもね。何かに対してひたむきになるとか一生懸命になってることが、画面からフッと見えちゃう、みたいな。だってオレなんか、高校のとき野球やってて、あんなに苦しくてやだと思ってたけどさ、テレビでやってると、どうしても見ちゃうもんね」(『広告批評』88年9月号)
まさに部活は筋書きのない青春だ。あの頃、とんねるずの番組をつけると家のテレビの前は“部室”になった。そう、ちょっと背伸びしたガキの俺らもその部室の端っこにいたのである。だから、大人になった今、「楽しませてくれてありがとうな、センパイ……」なんつって心の中で感謝しながら、令和の正月に『とんねるずのスポーツ王は俺だ!!』にチャンネルを合わせるのである。
<プロ野球史上最高の視聴率編へ続く>