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「佐々木朗希とは次元も時代も違いますよね」「試合後、田口壮がホテルで正座を」野田浩司が明かす“1試合19Kの舞台ウラ” 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2022/05/15 17:01

「佐々木朗希とは次元も時代も違いますよね」「試合後、田口壮がホテルで正座を」野田浩司が明かす“1試合19Kの舞台ウラ”<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

野田浩司と佐々木朗希。1試合最多「19奪三振」の記録保持者だ

 野茂英雄はこの年、入団から4年連続最多勝がかかっていたが、10月1日のロッテ戦で打球が右頭部を直撃。この時点で野田と野茂は14勝で並んでいたが、野茂は奇跡的に復活し、最終的に17勝で最多勝を分け合った。防御率は2.56(3位)。野田のキャリアハイとなった。

「阪神の最後の年に、何かちょっとつかみかけたんですが、パに移籍して、投球術をものにした感じです。パ・リーグのバッターは、初球からどんどん振りにきてくれるので、フォークを初球から投げたりして結構ハマったなと思います。

 球速は145キロ、調子が良くて147キロくらい。150キロは1球も出ていないです。決め球はフォークでした。社会人の2年目くらいから見よう見まねで投げていましたが、阪神2年目オフの安芸の秋季キャンプにドジャースのコーチが来て “こういう回転を与えなさい”とオーバースピンをかける方法を教わったんです。それを覚えてから奪三振が増えましたね」

イチローは「使えば打つやろうな、と」

 そして仰木彬監督に代わった2年目の1994年は開幕2戦目に先発。主戦投手としての期待値が高まっていたことを自覚していた。

「左の星野、右の野田の2枚看板みたいな感じで、良かったり悪かったりしましたが監督には信頼してもらいました。この年、イチローがブレークしました。前年から一軍と二軍を行ったり来たりしていましたが、打撃もすごいし、守りも足も肩もあるし、使えば打つやろうなとは思っていました」

 そんなチーム状況の中で野田は8月12日のグリーンスタジアムの近鉄戦で、大記録を樹立する。17奪三振のNPBタイ記録(当時)だ。

「近鉄は13連勝中。吉井理人との投げ合いで2−2の8回にオリックスが1点取って勝ったんですが、何がなんでも連勝阻止やと8回9回と3個ずつ三振を取りました。終わってみたら17奪三振、山田久志投手コーチに“お前三振のタイ記録や”って言われて “あっそうなんや。結構とった気はしてました”みたいな話をしました」

佐々木朗希と共通だった“千葉マリンの風”

 奪三振能力に磨きがかかった野田がさらなる大記録を作ったのは、翌年のこと。1995年4月21日、千葉マリンスタジアムのロッテ戦での「1試合19奪三振」だ。野田に当時のことを聞くと、このように話す。

「前の西武戦は2回で8点取られて負け投手。人生最悪の登板でした。そのあと毎日ビデオを見て、ブルペンに入って悪いところを見つけて、いいときの感じを思い出したんです。千葉に前乗りしてゆっくり休んで朝起きてみたら体調もすごく良くて、気持ちも切り替えることができていました。

 それから千葉マリン(現ZOZOマリン)の風ですね。佐々木朗希の完全試合、19奪三振もこの球場でしたが、風がセンターから吹いてきてバックネットに跳ね返ってくるんです。まっすぐはちょっと遅くなるんですが、フォークは変化が大きくなります。2回くらいまではどのへんでリリースすれば、どう落ちるのか手探りで感覚を探っていたんですが、“風を味方につけたな”と思ったのは3回くらいですかね」

【次ページ】 なぜ田口はエレベーターホールで正座していた?

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