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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「スカウトと毎晩ご飯を」「お客が来るのは巨人戦くらい、でも新庄・亀山人気で…」野田浩司が明かす“昭和ドラフト→暗黒阪神ここだけの話”
posted2022/05/15 17:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kou Hiroo
この春は、千葉ロッテマリーンズの20歳の投手・佐々木朗希の話題で持ちきりだった。特に4月10日のオリックス戦での「完全試合」「1試合19奪三振」という空前の記録は、槙原寛己、野田浩司という、過去の大記録達成者の周辺をもざわつかせることになった。
「あの直後から僕の電話に、以前に取材を受けた方とか10件くらいかかってきましたね。ちょっと誰かわからない人のもあったけど(笑)」
野田浩司は笑う。
オリックス在籍時の1995年4月21日のロッテ戦で、1試合19奪三振のNPB記録を作った野田は、今は野球解説者、そしてアマチュア野球指導者として活躍している。人懐こい笑顔は、選手時代のままだ。大阪市の所属事務所で、野球とのなれそめからじっくり話を聞いた。
親父は庭にブルペンを作りました
「熊本県の南部、人吉盆地の多良木町という町の出身で、かなりの田舎ですね。でも人吉地方からは巨人の川上哲治さん、末次利光さんなど野球人は結構出ています。小学校2年のころ、草野球の監督をやっていた親父について野球場にいくようになりました。
そのころ、僕らの田舎には野球チームなんてなかったので、4年生からソフトボールのチームに入りましたけど、そのかたわら親父の草野球についていって、スコアブックをつけたりしていました。家は田舎なので土地が広くて、親父は庭にマウンドのある18.44メートルのブルペンを作りました。最初は自分が投げるつもりだったんでしょうが、僕がやり始めてから僕の練習場になりました。兄貴や親父が受けてくれましたね。中学では学校の軟式野球部で投げていました」
町立多良木小学校から町立多良木中学に進んだ野田は、そのまま熊本県立多良木高校に入学する。そこでプロへの道が少しだけ見えてきた。
「高校で初めて硬式野球をやりましたが、2年生の秋くらいからプロ野球のスカウトの方がちらほら顔を出すようになったんですね。後に阪神でプレーする八代第一高の左腕、遠山昭治(奬志)と僕がこの地方では目立っていたんですね。遠山と僕で『二枚看板』とか、福岡の東筑高から近鉄に入った桧山泰浩とで『九州三羽烏』とか言われていたようです」
プロ志望は全くなくて。自信がなかったんです
しかし遠山、桧山ともに高校でドラフト指名されたものの、野田は指名されなかった。その当時について聞くと、意外な答えが返ってきた。