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“伝説の革命家”フィデル・カストロがアントニオ猪木「亡き愛娘」の思い出に涙した夜「赤ら顔の2人が旧友のように肩を組んで…」
text by

原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/05/01 17:01

1990年3月、筆者がキューバで撮影したフィデル・カストロ議長とアントニオ猪木の2ショット。2人の友情はその後も長く続いた
「パパ、なんでここに来てくれないの」
ハワイで会った6歳の娘は、両親が別れたことを理解できていない。猪木はこの娘の言葉のいじらしさに戸惑ったというが、それ以来2人が顔を合わせることはなかった。
8歳になった文子ちゃんは祖父(ダイアナさんの父)に本土で最期の別れを告げた後、母親とポートランドからハワイに戻る飛行機に乗ったが、機内で腹痛を訴えた。機長は近くのサンフランシスコ空港に緊急着陸を試みたが、文子ちゃんはそのまま機内で急死してしまう。
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猪木は娘が亡くなったという知らせを受けて悲しみに暮れ、自分の若さを恥じたという。夢を追いかけるのに夢中で、家庭を顧みる余裕がなかったからだ。
猪木は、そんな話をカストロ議長にしたのかもしれない。こうして、2人の関係は友人として長く続くことになる。
キューバに“顔パス入国”できることに
それからは入国する際に、猪木はビザもいらなくなった。翌年、再び猪木と一緒にキューバへ行ったのだが、向こうの外務省に連絡しておけば、空港に迎えに来てくれてホテルまで案内してくれた。この時は私もその恩恵にあずかって、ビザなしで付いて行った。
その際、「カリブの海賊」ではないが、キューバ沖に沈んだ船をサルベージ船で引き上げるという計画を政府関係者から具体的に図解を交えながら聞かされた。財宝が沈没船とともに海底に眠っていて、実際に引き上げに成功した例もある。しかし、多くは砂の層が厚く、簡単には引き上げられないことがわかった。
「これからは観光にも力を入れていきたい」
そんな新しいキューバの姿勢が見て取れた。
この国には、アーネスト・ヘミングウェイの小説『老人と海』の舞台もある。キューバ危機の時に世界が恐れた弾道ミサイルも観光客に向けて海岸に誇らしげに置いてある。
「キューバも変わってきているんだなあ」
そう感じた。夕刻には恋人たちが海岸で愛をささやき合っている。<後編へ続く>

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。
